あ~、幸せだな、と感じたことがありますか?私はありません。でも、自分が不幸だとも思わないので、やはり幸せなんだと思います。私がよく読んでいるブログのリウさんが「自分の幸福度を測る」という記事を書いていました。日立製作所が幸福度を計測することに成功したようです。
幸せを感じなかった子ども時代
私の両親は戦前生まれで、何かというと戦争中に比べれば今は幸せだと言っていました。子どもにもそれを押し付けるので、迷惑に思っていたくらいです。だって戦争なんて知らないし、と反抗していたのです。
欲しい物をすぐに買ってもらえるほど実家は裕福ではなかったし、手伝いをしろ、弟の面倒を見ろと言われるし、幸せとは程遠いと思っていました。でも、私が中学2年生のときに父が突然脳卒中の発作で倒れました。
病院に運ばれた父は、今夜がヤマだと言われるほどの重体でした。私は母に言われて救急車に一緒に乗り込み、父に付き添いました。時間はちょうど日付が変わるころで、夜中の病院というのを初めて体験しました。
失って初めてわかる幸せ
結局父は命をとりとめますが、容態が安定して家に返ってくるまでに3年もかかりました。その状況に慣れるまで、私の家は他の家とは違うのだという思いが頭から離れることはありませんでした。
誰も何も悪いことをしていませんが、なぜか他の家とは違う状況に後ろめたいものを感じ、同級生たちと話していても明らかに前とは違った感情を抱くようになりました。
その時私は初めて悟りました。今までの普通の生活が幸せだったことを。幸せを幸せとも感じない生活が、本当の幸せだったのです。大人になってから東日本大震災が起こり、避難生活をしていた女の子が普通の生活が幸せだったと、やっとわかりましたとテレビの取材に対して話していましたが、私にはよく気持ちがわかります(彼女の方が大変な状況だったのは言うまでもありません)。
幸せだと感じなくても
父は73歳で亡くなりました。倒れてから実に25年も生き抜いたのです。家計を支えながら父の面倒を見た母すでに亡くなり、私は今平凡で普通の生活を送っています。何事もなるようにしかならないということもわかりました。
今も幸せだとは感じませんが、それこそが普通の生活を送っている証だとわかっているので、この状況に感謝をしています。
私の夫も幼いころに父を交通事故で亡くし、20歳のときには病気で母を亡くしました。夫はきっと幸せは失って初めてわかるということを嫌と言うほど実感しているはずです。言い争いばかりしている夫婦ですが、そんなところが同じだからいまだに夫婦をしているのかもしれません。