年を取ると偏屈にならざるを得ないわけ

生活

中高年が快適に過ごせる下着についてあれこれ考えていたら、私の母も下着にうるさいことを言っていたなと思い出しました。ショーツの材質や形にこだわって、確かグンゼのものしか着けないと言っていました。

いろいろと文句を言っていた母

母はTシャツにもいろいろと指定があって、脇の縫い目が少しでも当たると嫌だと言って、晩年は身長150cm、体重40kgでしたが、Lサイズを着ていました。それでも、しょっちゅう縫い目が当たってゴロゴロすると言って、イライラしているようでした。

私はそんな母のことをちょっと冷ややかな目で見ていたような気がします。気にしすぎだよ、とも言いました。でも、現在私が下着に感じているあれやこれは、母の言っていたこととあまり変わらないことに気が付きました。

私もショーツが脚の付け根に当たって痛いと言っても、娘たちに気にし過ぎだよとか、そんなことあるわけない、などと言われています。人の不快なことは数値的に表現できるわけではないので、中々理解してもらえないのだと思います。

文句を言うのは弱いところをかばうため

そして年を取るにつれて、人間には弱いところが増えるので、不快なことも増えるのでしょう。たとえば皮膚が弱くなれば、少し布地が当たるだけで不快な刺激だと感じるはずです。

私も20代前半の頃は、ウエストをキュッと締めているくらいが、背筋がシャンと伸びて気持ちが良いと思っていましたが、今同じことをしたら気分が悪くなります。

人間は誰でも今日、このときが最高齢です。かつては年を取っていたけど、今は若いということはないので、自分よりも年上の人のことは想像するしかありません。

自分に余裕があれば、想像力を駆使して考えることもできますが、余裕がなければ(または興味がなければ)そんなの気のせいだよ、ということにしてしまうのでしょう。

私は母のことを年を取って偏屈になったと感じていましたが、母は弱いところをかばうために、偏屈にならざるを得なかったわけです。

最初から優しい下着があれば…

私自身も、すでに娘たちにとっては偏屈な人間になっているのかもしれません。もしかすると母は、自分が弱いことを認めたくなかったし、私たちにそれを知られるのも嫌だったのかもしれないと、今になってやっとわかったような気がしています。

もともと誰にでも優しい下着や洋服があれば、弱いところが増えた人も堂々としていられるのに、と思います。考えてみれば、肌に直に触れない洋服なら、下着が良ければ多少のことは我慢ができます。

やはり下着が優しいこと(つまり食い込んだり、擦れたりしないこと)は、とても大切なことなのです。

下着のことは、かなりプライベートなことなので、親子といえども相談したくない人もいるはずです。誰にでも快適な下着が手に入るなら、イライラすることが減って、結果としては家族の雰囲気も良くなる気がしますが、いかがでしょうか。

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