小さなことから大きなことまで、日々生活をしていたら嫌だと思うことがあります。これはきっと私だけではないでしょう。最近の私なら、大きなことは夫の弟の病気です。小さなことは、他人と話をしていて感じたしこりです。
嫌な気分を手放せない
嫌だと思ったら、それを延々と引きずるのは良くないと言われています。トップブロガーの筆子さんのブログにも嫌な気持ちは早く手放して、と書かれています。確かに早く嫌な気持ちから解放されるなら、自分も気分が良くなるし、自分を見ている周りの人にとっても良いことのはずです。
しかし、私は自由に嫌な気分を手放すなどということはできません。気が付くとその嫌なことを考えています。大きな出来事なら嫌な気持ちになっても仕方がないと諦めがつくせいか、かえって楽です。
例えば家族や親戚に重大な病気が見つかって、いろいろと考えたり悩んだりするのは当然のことなので、気持ちが切り替えられなくてもそれほど気になりません。
小さなことの方が残ってしまう
小さなことだとそうはいきません。人と話をしていて、こんなことを言わなければ良かったという後悔や、言われたことにこれは皮肉なのか、と考えてしまったことなどは後々まで残ったりします。そして残ったことでさらに考えてしまいます。
こんな些細なことをいつまでも考えているなんて、私って本当にしつこくてダメな人間だ…
お皿を洗うときに、大きな汚れはすぐに取れるけれど、隅っこの小さな汚れは残ってしまうことがあるのに似ているかもしれませんね。
文章にすると良いらしい
嫌な気分を手放すためには、文章にすると良いとはよく言われていることです。人間は同時に2つのことができないそうです。だから、文章を書くことに集中すると嫌な気分のままではいられないということです。
しかし、私は嫌な気分になったときに、それを文章にできるくらいなら、もう半分くらいは嫌でなくなっているのではないかと思います。
それに大きなことはそんなに頻繁にない代わりに、小さな嫌なことは続々と出て来るような気がします。とても一々書いていられません。
嫌なことはところてんと同じ?
でも、私は最近気が付きました。何か1つ嫌なことがあると、前に感じていた嫌な気分は消えています。新しい嫌なことに気持ちが集中して、それ以前の嫌だったことを忘れるようです。ところてんつき(押すとニュ~っと出るあれです)のように、嫌なことも蓄積するばかりではなく、押し出されているように思うのです。
今何か嫌だと思っていることがあっても、次の嫌なことがあるまでしか、その思いは続きません。次の嫌なことがあるまでのはかない命なのです。そう思うと、何だか嫌だと思っていることにも、趣があるように感じられてきます。
それでも気持ちが収まらないときは、もうその嫌なことが財産だと思って、敢えて忘れないようにしようと思います。きっとそれは自分に対して何かを教えてくれているのです。自分はなぜこんなことがいつまでも忘れられないのだろう、と考えるのはまさに自分探しです。
遠くに行かなくても自分探しという旅に出ることができるのです。
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