コロナのせいで最近は何でもオンライン化が進んでいます。仕事はもちろん、私生活の面でも、顔を合わせるのは画面越しということが多くなった人もいるでしょう。
画面越しではやりにくいのが当たり前
実際に顔を合わせるのと画面越しは、勝手が違うとやりにくさを感じることもあるようです。確かに単純に考えても画面越しというのは、平面の世界です。言ってみれば、テレビの向こうと同じ感覚で、自分とは縁のない世界だと感じても無理はありません。
今まで人と会うことを立体の生きた世界と考えていた私たちが、違和感を覚えても仕方がないと思います。
私の夫もそんな世界は本当に嫌だと言っていましたが(夫はパソコンそのものが嫌いで苦手意識も強いです)、最近、夫は結構そんな世界に馴染めるのではないかと思い始めました。理由は食べ物です。
画面上の食べ物、そんなに美味しそうですか?
夫はテレビ画面に食べ物が映る度に、これは美味しそうだとかこんなのは絶対に食べたくない、などと何か必ず言わずにはいられません。自分とは縁もゆかりもない画面の向こうの食べ物の臭いまで感じているような口ぶりです。
夫なら平面の世界を見ても、そこにいる相手のいろいろな面を感じ取り、実際に会っているのと同じような感覚で話ができるのかもしれない、と思ったのです。
私はどんなごちそうが画面に映ろうと、ほとんど心が動かされません。かなり空腹でもそれを見て美味しそうだと思えません。もちろん何が映っているかは、ちゃんと認識できますから、食べ物だということはわかります。でも、それ以上でも以下でもありません。
ただ、ぼ~っと目の前に映るものを眺めているだけで、『〇〇(例えば大きなとんかつ)だな…』と思うだけなのです。
想像力と情熱がオンラインを左右する?
夫はオンラインでも想像力が働き、私のそれは働かないのでしょう。私はテレワークでは、相手の言わんとすることを汲み取れない事が多くなってしまうかもしれません。
しかし、もしかすると夫は食べ物への情熱が人一倍あるために、画面上の食べ物に真摯に向かい合うことができるのかもしれません。それに、多くの情報を汲み取りすぎて、夫の場合はテレワークで画面の向こうの人と争いを起こしてしまうかもしれないな、とも思います。
ともあれ、これからの世の中、オンライン化の波に乗っていくためには、画面の向こうへの想像力と情熱が物をいうことは間違いないでしょう。画面の向こうを想像し、知りたいと情熱を傾ける、この姿勢があればオンライン化にも適応できるのではないでしょうか。
また、オンラインでも仕事ができる、会話を通して関係を温められるということは、それ以前から信頼関係が築かれていることが前提だと思います。初めて会った人とのオンラインでの会話(商談でも)では、まったく関係の基礎ができていませんから、ちょっとしたことで誤解が生じてしまうこともありえます。
オンライン化は良いことばかりではなく、リスクも伴うものなのです。
とにかく食べ物に傾ける想像力と情熱を見る限り、私の夫はオンライン化にピッタリの逸材だと思います。生かす場所がないのが本当に残念です。
にほんブログ村
よろしくお願いします。