新年早々、ショックだとか腹が立ったなどという話ばかり書いていましたが、年末にはちょっと良かったこともありました。買い物に行った時に、長らく会っていなかった知り合いに会ったのです(こちらの記事の女性です「後で取り返しが付くと思ったのに…」)。
声をかけて良かった
今度会ったら自分から声をかけようと思っていたので、ためらいなく挨拶をすることができました。彼女は悪い人ではありませんが、話をすると長くなるので、時間に余裕がないと声をかけられないこともありましたが、会ったのはちょうど午前中の早い時間だったので、声がかけやすかったです。
長い間出会えなかった理由は、彼女が足を傷めたため、家にこもっていたからだそうです。彼女はコロナ禍の中、趣味の散歩に勤しんでいましたが、それが災いしてしまいました。しかし、重大な病気でなくて良かったです。お互いの無事を確認して喜びあった後、別れるときに彼女は私にこう言ってくれたのが意外でした。
「年の最後に会えて良かった。本当に嬉しかったよ。私、知り合いに会って話しかけたら、嫌がられたことがあったから、余計に今日は嬉しかった」
嫌がられたというのは、多分ソーシャルディスタンスを保つために相手が離れたという程度のことだと思いますが、今までの私たちの常識では会って嬉しいと、距離を縮めるものでした。距離を取られるということは、拒絶の表れと彼女が思っても無理はないかもしれません。
コロナ禍でわかる本当の姿
今までの彼女はどちらかというと一方的に自分が話したい話をして、気が済むと別れていく傾向がありました。彼女の前で私は聞き役に徹することが多かったのですが、面と向かって感謝の気持ちを伝えられるのは、本当に意外でした。私も声をかけて良かったと嬉しくなりました。
コロナ禍で人と自由に会って喋れない生活だから、彼女もこんなことを言ったわけです。今までの生活をしていたらそれはありえないことだったでしょう。でも、彼女の本質は感謝の気持ちを持てば、それを素直に相手に伝えられる性質だったのです。
極限状態では、人間の本性が出ると言いますが、私はそれを見たわけです。私はこんな生活の中で見た本性が良いもので嬉しいし、それを良いと思えた自分の感性も嬉しかったです。
どんなときにも悪いことだけでなく、良いことや面白いことがあるのだと今回のことで実感できました。
良いことも悪いこともいろいろあるのが人生?
嬉しいこと驚くこと、悲しいことなど今年もさまざまなことをたくさん経験しながら、また1年が過ぎていくのでしょう。来年の今頃はどんな思いを私がしているか、今から楽しみです。
先日書いた、次女に腹を立てたこと(こちらの記事を参照してください「新年早々、腹が立ったこと」)や冷蔵庫の保証書を失くしてショックだったこと(こちらの記事です「新年早々ショックだったこと」)は、もう喉元を過ぎました。
次女とは前と変わらず世間話をしているし、保証書を失くしたことは夫や長女が親身になって慰めてくれました。それはそれでなかなか嬉しかったです。
良いことも悪いことも、いろいろあるのを忘れずに今年も生きていきたいと思います。そうすれば良いことがあっても調子に乗らず、悪いことがあっても絶望せずに上手く人生を渡っていけるのではないでしょうか。
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