明日は夫の弟が入院している(脳梗塞のリハビリのために入院中です)病院でカンファレンス(どうやら一方的に話を聞くのではなく、情報共有をする目的があるようです)というのがあります。夫が病院まで出向いて、ハビリの進み具合などの話を聞いてきます。
まだ弟が転院してから2週間しか経っていませんが、どんな感じで毎日を過ごしているかを知ることができるでしょう。最近はコロナ禍のために面会して話をすることができないので、患者の家族にとっては本当に貴重な機会になると思います。
連絡などは止められていませんが、弟からは電話もメールもありません。私は少し気になっていますが、不都合がないから連絡がないとも思っているので、敢えて夫に話を振ることもありません。
父もリハビリをしていた
リハビリと言えば、父のことを思い出します。父も49歳という若さで脳出血の発作を起こしました。かなりひどい状態でしたが、リハビリを担当する方たちがまだ若いんだから頑張りましょう、また会社に行けるようになりましょう、と一生懸命に励ましてくれました。
しかし、思いの外に変わってしまった自分自身を受け入れることができなかったのでしょう。父はリハビリに正面から向き合うことができませんでした。
また、リハビリの予想以上の痛さ、辛さに父は我慢ができなかったのかもしれません。私たち一家は狭い団地に住んでいたため、母はなるべく父が帰宅するのを遅らせるために、父のリハビリは2年以上に及びました。
それでも、父は車椅子が欠かせない生活になると言われていました。しかし、昔ながらの団地に車椅子は入れませんでしたし、母にはリフォームをする余裕もありませんでした。
必要に迫られて、父は動けるように
結局見切り発車で父は帰宅しましたが、驚いたことに数ヶ月で家の中なら、杖を使って自分で歩行できるようになりました。
最初は自分でトイレに行けるようになり、次第にできることが増えていきました。母に一日家に家にいるなら、これくらいはやってと言われて、洗濯物を取り込むようになりました。歩行訓練と称して、散歩にも出るようになりました。
お風呂も浴槽が昔ながらのもので高さがあったため、浴槽の出入りは手を貸しましたが、それ以外は自分でやるようになりました。
会社に行って仕事をするということはできなくなりましたが、父は家にいる限りは介護が必要と言うほどではなくなりました。だからこそ、母も安心して外に働きに行くことができたのです。
私は何が危ないのかわからなかった
父は73歳で亡くなるまで、自宅で過ごしました。右半身の麻痺は治りませんでしたが、家の中で転ぶこともほとんどありませんでした。しかもそのうちの1回は私がいたときで、私のせいでした。
私が結婚した後に、母が出かけるから、当時70歳を超えていた父(ガンだったので、母が心配した)に付き添ってと言われたのです。
そのときは冬で寒いと思った私は普段は開けっ放しのキッチンと廊下の境のドアを閉めてしまったのです。後で聞いたところによると、そのドアを閉めて置くと、父がつかまって転ぶかもしれないと、母はいつも開けておいたそうです。
そして父もそれくらいは大丈夫と思ったのでしょう。何も言わずにトイレに行く時にドアにつかまってしまい、バランスを崩して転んでしまったのです。
父のガンはとても大きくなっていて(父に自覚症状はなかったようですが)転ぶことによって、大変なことになったかもしれませんでした。
私が良かれと思ってやることなど、父には無用なおせっかいでした。それにしても、娘で良かった~、と思ったのは言うまでもありません。これがもし嫁の立場だったら、お互いに気まずかったに違いないです。
父を通して感じたこと
リハビリはその人によって、何が正解か違うのではないでしょうか。家族が良かれと思っても、それが上手くリハビリに活かせるわけでもありません。
ある人が自分のリハビリは上手くいかなかったと感じても、後で振り返れば、こんなにできることが増えて、生活が楽しくなったと思うかもしれません。
父の場合も最初は誰もが、リハビリをしてもダメだったと思いました(多分父自身も)。しかし、気がついたら父にはできることが増えて、デイサービスにも楽しんで参加できるようになりました。
また、自宅に帰ってきたらもうリハビリはお終いというものでもないようです。生活のすべてが、リハビリに結びつきます。だから父も自宅に帰って来てからも、できることが増えていったのだと思います。
夫の弟にも、退院したらすべて終わりではなく、ずっとリハビリは続くのだと考えて生活していって欲しいと思っています。何だか明日が怖いような、楽しみなような変な気持ちです(夫とは特にこのことについては話をしていません)。
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