自粛生活への我慢は誰のためだろう

コロナ

全国的に人出は増えているようです。ちょうどお花見のシーズンだったし、卒業式、入学式もありました。我が家でも夫が夜出かけるようになったし、私にもお誘いのメールが来て、行こうかどうしようかと迷っています。

よく報道番組では、もう自粛生活も我慢の限界、という声が紹介されているし、厚労省のお役人が大人数で宴会をしていたのが許せないという声も聞かれます。だから、自分たちももう我慢したくない、というわけですが、私はほんの少しそのような声に違和感を覚えます。

自粛生活は自分のため

我慢って誰のためにしていたのでしょう。もちろんコロナに感染して周りの人にうつさない目的もあるでしょうが、それだけではないはずです。自分がコロナに感染したくない、だからみんな自粛生活をしていたのではないでしょうか。

予防法も治療法も確立されていない、未知の病気になりたくないのは誰でも一緒です。感染したかもしれないとき、近所の病院に行けば良いというわけにもいきません。運が良くて症状がそれほど出なかった場合でも、2週間に及ぶ隔離生活が待っています。

これらのリスクを考えたとき、それでも宴会や花見の方が大切だと思えるでしょうか。私には思えません。私に限っては自分の好きで自粛生活をしていました。

直接知り合いでもなんでもない厚労省のお役人が宴会をしたからと言って、それをずるいとも思わないし(この人たちがコロナになっても私に関係ないと思うからです)、だから自分たちも我慢はもうしないぞ、とも思えないのです(ただ、国民感情を思いやれないお役人には失望しました)。

命令されたから、自粛するだけではダメだと思う

私たちももう我慢したくない、好きにやるぞとカメラの前で言っている人たちは、今までの我慢は誰のためだったのかをもう一度考えて欲しいです。

日本では誰かに命令されたから従う、それだけの気持ちの人が多かったから、本当の意味での予防ができなかったのかもしれない、最近テレビを見ているとそんなことを考えずにはいられません。

私たちの自粛生活は命令されたからやったのではなく、コロナを予防するためにやっていたはずです。命令されたから、みんながやっているから、だけの自粛生活ではきっと大切なことを見落としているはずです。

予防のためのマスクを手に入れるために、長い行列を作って密状態になるなどはその良い例です。

なるときはなるのだと思っているけど

ただ、いくら自粛をしていても、コロナに感染する時はするのだと私は思っています。どんな状況でも一歩も家から出ない、または自分以外の誰とも接しないで生きていくことは不可能です。食料品や日用品は自分で手に入れなくてはならないからです。そのほんのちょっとしたときに、コロナに絶対感染しないとは誰にも言えません。

私は専業主婦なので、かなりの自粛生活を送っていると思いますが、それでも食料品を買いに出かけるのは私の役目です。あまりに気にしすぎても仕方がないこともわかっています。しかし、やれるだけのことをやってそれでもダメなら諦めも付きます。そのときは感染しても堂々としていられるような気がします。

反対に自分で考えず、覚悟もないままに世間の流れのままに、自粛生活を終わらせて感染してしまったら、私は自分で自分が悔しくてたまらなくなると思います。

自粛生活への我慢は、自分で自分のことが嫌にならないためにしているのだということを忘れたくありません。家族のため、大切な人にコロナをうつさないため、というのはその次に来る理由だと私は思っています。

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