故郷ってどこだろう

生活

私は現在、埼玉県南部の中規模な市に住んでいます。かつては実家も同じ市内にあり、両親が体調を崩したときはすぐに帰れるので、とても便利だと思っていました。でも、私が生まれたのは現在住んでいる市ではないし、幼少期を過ごしたのも違う場所です。

たった10年しか住んでいなかった

先程、別記事に書きましたが、私が幼少期を過ごしたのは東京都国立市です。生後3カ月から10歳になるまで生活していましたが、現在私は57歳です。私は国立で自分の人生のほんの短い期間を過ごしたにすぎません。

私が10歳のときに、いつまでも賃貸住宅に住んでいては生活が安定しないという母の意向で、現在住んでいる市内の分譲マンション(名称はマンションでしたが、実態は団地でした)を買ったのです。もう住んでから何十年も経っているので、私の故郷は現在住んでいるこの土地で良さそうなものです。

しかし、今でも度々国立のことを思い出します。旧国立駅舎が解体されるときは、心が痛みました。三角屋根の国立駅は今でも私の心に残っています。あの駅舎を見ると、これから出かけるのだ(またはやっと帰ってきた)と考えている幼い私の姿が見えるような気がするのです。

だから幼い私の記憶がいつまでもなくならないのかもしれません。私が通っていた幼稚園は国立愛児園で、その後入学したのは国立第三小学校でした。近所には八巻さんという小児科があったし、中野さんという文具店に行くのを私は楽しみにしていました。隣の家には水津さんという手先の器用なおばあさんが住んでいました。

でも忘れない

引っ越しして、しばらくしたら何もかも忘れるのだと思っていましたし、実際に私は国立のことを思い出そうとはしませんでした。

しかし、父と母が亡くなり、弟が結婚して別の場所に住むことになった頃(つまりせっかく母が望んだ自分の家、私にとっては実家がなくなってしまったのです)からしきりと国立のことを思い出すようになりました。そうしたら、自分がすべてを忘れてはいなかったことに気が付きました。

もしかすると人間との関係と同じで、土地にも無性に惹かれてしまうことがあるのかもしれません。今住んでいるところだって、そんなに嫌な場所ではありません。私が現在住んでいるのは夫の実家の敷地内ですが、近所に嫌な人はいないし、自然災害とも無縁な場所です。

しかしずっとここに住んでいる以上、懐かしく思い出すことはありません。

今はもうない場所に惹かれている?

国立のことを考えるとき、私は思い切り思い出に浸っているような気がします。今はもう、私が住んでいた頃の国立はどこにもないことがわかっているからかもしれません。何しろ、私が住んでいた頃の国立は方々に空き地があり、畑がありました。今では考えられないことだと思います(今国立は中央線沿線でも人気のある街です)。

私の実家がなくなったと言っても、建物自体はそのまま残っていて、その周りもあまり変わっていませんが、40年という月日は国立を街ごと変えてしまいました。単に私はないものねだりをしているだけなのか、それとも故郷というのはそんなふうに思うものなのか、ちょっとわからなくなっています。

ほんの短い間の生活でも、街は故郷になるのものなのでしょうか?

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