子どもの作品やお手紙をなかなか捨てられない人は多いと思います。ブログを読んでいても、いろいろな人が捨てられないから、こうするという方法を書いています。私もそんな一人でしたが、次女の一言がきっかけになって、かなりの数を処分できました(多分、すべてではない…)。
次女の一言とは
次女の一言とは、こんなものでした。
私がもう死んでしまったなら、思い出が必要かもしれないけど、こうして元気に生きて、成長しているんだから、昔の手紙やら作品は全部捨てていいんだよ。過去のことより、今を見てよ!
次女は自分の持ち物についても、納戸に仕舞うようなものは、使わないから仕舞っているのだと言います。だから、自分のものでも納戸に仕舞ってあるもの(ぬいぐるみとかバッグとかです)は捨てて構わないと言いました。
おかげで思い出の品であっても、思い切りよく捨てることができて助かりました。捨てようかどうしようかと迷っている間に、思い出はドンドン溜まっていき、結局捨てるのも大仕事になってしまいました。
次女に言われて、思い出の品を処分したのは、今から10年以上前のことです。次女はまだ小学校の高学年でしたが、「今を見てよ」というのは随分と心に残りました。もっと早く言ってもらったら、こまめに捨てて大仕事をせずに済んだのかもしれません。
思い出もたくさんあると迷惑?
私の母も、私が20歳になった頃に、大きな箱(みかんが10kgくらい入りそうな箱でした)を見せてこれは全部お前の作品だよ、と言ったのです。箱には私が子どもの頃に書いた絵や手紙などがぎっしりと詰まっていました。
「懐かしいでしょう?」と嬉しそうに母は言っていましたが、私にとってそれはまったく価値のないものでした。自分の子どものものならまだしも、自分自身の子どもの頃の作品を見ても、ただ子どもだったな、と思うだけでした。
大きな箱に詰まった思い出を母は、「お前の作品だから、お前がどうにかしてね」と言いました。「私にはとても処分できないから」とも言っていました。ちっとも懐かしめなかった私は、結局全てを捨てることにしました。大量の思い出の品を捨てるのはやはり大仕事で、私は腹を立てたものです(すべてが燃えるゴミだったのは救いでした)。
結局、捨てるのを私に押し付けたんじゃないか!もっと量が少なければ、私も大変な思いをしないで、純粋に懐かしいと思えたかもしれないのに。何でもかんでも取って置かれても、迷惑だよ…
子どもの思い出を残すのは本能かも
こんな思いをしたのに、自分に子どもが生まれると、やはり母と同じことをしてしまいました。それは本能と関係があるのかもしれません。赤ちゃんが生まれると、へその緒を残そう、最初に切った髪の毛を残そうと考えますが、子どもの作品や手紙を残したいというのも、それと同じことなのかもしれません。
しかし、子どもというのは日々成長して、変わっていきます。子どもの頃の日々は、本人にとっては成長に伴って脱ぎ捨てる抜け殻のようなものかもしれません。
親がいくら懐かしんでも、それほど子どもには共感してもらえないでしょう。子どもにとって、抜け殻は捨てるべきものなのですから。
もし、本能に従って子どもの思い出を取っておきたいなら、自分だけの秘密にして決して子どもには見せないか、少数精鋭で取っておくものを厳選するくらいの心構えは必要なようです。
しかし、どんなものでも、捨てようかどうしようかと迷ったときに「今を見る」のは必要なことだと思います。過去に執着せず(だってもう過去には戻れませんから)、未来を心配せず(まだ来ていませんから)に今だけを見て必要かどうかを考えれば、どうすれば良いかは自ずとわかるのではないでしょうか。
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