昨日は終戦記念日でした。新聞の投書にも戦争に関する内容がありました。
私は今年57歳になりますが、両親は第二次世界大戦当時、まだ少年少女でした。子どもなりに苦労したことは多かったのでしょう。何かというと戦時中にこんなものは食べられなかっただの、こんな贅沢はできなかっただのと説教をされたので、私は大変迷惑だと思っていました。
私の年代でのあるある?すいとんを食べる
終戦記念日にはすいとんを食べるのは、かなり多くの家庭で行われていたようです。私の実家でもやっていました。
私は小麦粉で作った団子状のすいとんを結構好きでしたが、母の口癖は「戦時中のすいとんは味もほとんどしないし、具も入っていなかった。こんなにおいしいものではなかった」というものでした。同じようなことが私の子どもの頃には、多くの家庭の食卓で言われていたようです。
毎年この時期、私のこと?と思うような、体験談をよく見かけるので、初めて私はあれは私の実家だけのことじゃなかったんだ、と知ることになったのです。多くの家庭で食べられたすいとんですが、戦時の生活の厳しさを伝えることはできなかったようです。
母の思い
後に母は、自分の子どもの頃とはあまりにも世の中が違い、贅沢になっていくことに危機感があったと言っていました。これでは子どもたちがろくな人間にならないと本気で思っていたそうです。
私たちが成長した後に、電話も車も1人1台という時代が来るとは、母にとっては想定外だったのでしょう。私が結婚して生まれた娘たちが成長した頃、母はこんなことを言いました。
お前たちを育てた頃は、こんな贅沢をさせたら、ろくな人間にならないと思っていたよ。だからと言ってやみくもに厳しくしてしまったね。悪かったと思っている…
子ども時代に戦争と終戦を経験した母は、同時にそれまでの価値観がひっくり返ることも経験しました。昨日までの正義があっという間に転落したのですから、母にとっては衝撃だったことでしょう。
だから、戦後世の中が発展していくのも、どこかで疑っていた節があります。私が成人するまで、日本は経済成長を続けましたが、母はそんなにうまくいくはずがないと思っていたようです。
どんな世の中になっても子どもたちが生きていけるように、それが母の願いだったような気がします。実際に東日本大震災のときは、物流が止まり、それまでの生活が保てなくなりました。普段当然だと思っていた生活は以外にもろいと知り、母の危機感は無駄ではなかったと思いました。
そのうちみんないなくなるから
私はもちろん戦争というものを知りませんが、戦中派の親に育てられました。その私がもう60代になろうとしています。うかうかしていると、戦中派はおろか戦中派を直接知る人間も、いなくなってしまうかもしれません。
そんなことを考えていると、終戦記念日は母の命日でもないのに、母のことを思い出しました。