始まる前は長いと思っていた夫の出張ですが、今日で終わりになります。今日の午前中にPCR検査を受けて、明日には帰途に付く予定です。8月9日からですから、約2週間夫は家を空けたことになります。
朝も夕方も焦る必要のない気ままな生活が終わってしまうのは、名残惜しいような気もします。
いないことで却って存在を意識した
夫がいないので普段は2人で使っている寝室を私1人で使いました。1人では広すぎるかな、と思っていましたが、暑い季節なので、まったく気にならず快適に過ごしていました(もともと私は早朝覚醒に悩んでいるので、よく眠れたかどうかは別です)。
ところが部屋の真ん中で1人で寝ているにも関わらず、深夜や早朝に目が覚めると夫が隣に寝ているような気になるのです。はっきりと気配を感じ、寝息が聞こえたような気になったこともあります。それも1度や2度ではなく、ほとんど毎日のように隣を振り返って、ああ、いなかったんだな、と再確認をする有様でした。
これは、自分にとっての夫の存在を暗示しているように思います。恋人だった頃の、一緒にいたいという気持ちとは全く別で、夫は私にとっていて当たり前で、いないとおかしい存在になっているのでしょう。
はっきりとした気持ちを自覚できなくても(私くらいの年齢の人で、自分の配偶者の常に愛情を感じている人はどれくらいいるのでしょうか?)、やはり夫は私の家族なのだな、と実感しました。当たり前のことですが、夫婦はどちらかが先に死にます。こんな存在を失うとしたら、かなりの喪失感に襲われることを覚悟しなくてはいけないですね。
夫婦生活そのものがいつかは終わる
ブログを読んでいると、孤独な生活を送りたくないから、夫に長生きして欲しいという人がいました。
私も夫には、自分より後に死んで欲しいと思っています。しかし、私の場合は、葬儀や相続が面倒だと言うのが主な理由です。相続は私が先に死んだ場合、夫が元気なら相続は発生しません。夫が死んだときに、娘たちに相続をすることになるでしょう。
しかし、夫が先に死んだら、私は今住んでいる自宅の土地と建物を夫から相続しなくてはなりません。場合によっては娘たちにも相続するものがあるかもしれません。私が夫より後に死ぬことで、余計なワンステップが生じてしまうことになります。
それなら話が簡単な方が良いな~、と私は思っているわけです。葬儀だってこのご時世、簡略化されているとはいえ、実際に執り行うのは大変だと思います。葬儀の後もお盆だお彼岸だと、面倒なことはいくらでもあります。
また、以前夫に俺が死んだらこの家は立ち行かなくなる、経済的にももっと困窮するだろう、と言われたことも引っかかっています。それなら、そんな面倒はゴメンだから先にいくよ、と言いたいです。
人生も終わる
私たち夫婦は今年で結婚30年を迎えました。夫婦のどちらが先に死ぬかなどと考えていると、自分の人生の終わりが現実味を帯びてきました。娘たちは相変わらず独立しようとしません。親と子どもでは見えているものが違うのでしょう。
言葉でいくら、親はいつまでも元気でいられないから、自分で生活できるようになって、と言い聞かせても、娘たちの心には届かないようです。言うだけのことは言って、それでも伝わらないなら、後は知らないよ、先にいくよ、となるわけです。
無責任なようですが、この30年私も頑張りました。それで駄目なら仕方がありません。
人生そのものだって終わりますから、2週間の出張くらいはわけもなく終わります。夫が帰ってきたら、また以前のような生活が始まります。あれ?終わることばかり考えていましたが、終わることで新しく始まることもありますね。
私はまた、新たな気持ちで生活を始めることができるでしょうか?始める以外の選択肢は私にはありませんが…もう9月が近付いてきました。多くの家庭で新しい生活が始まりますね。