国立駅が復元されたことについて

生活

JR中央線の国立駅が、大正時代に創業されたときの姿で復元されたそうです。私にとって駅といえば国立駅でした。

国立駅を見ると子ども時代に帰れる

私は生後3ヶ月から10歳になるまで、国立市に住んでいました。たった10年いただけですが、母も国立という土地が大好きだったようで、引っ越ししてからもずいぶんと長い間、近所の人と付き合いを続けていました。

大正時代に作られた駅舎は、三角屋根の建物で子ども心にもかわいいと思っていました。大正時代に作られたということは、母の口から何度も語られました。2006年には中央線が高架化されたために、老朽化していたこともあり、解体されてしまいましたが、復元を望む人たちがたくさんいたようです。

ニュースでほんの短い時間国立駅が映っただけでしたが、私は一時自分の子ども時代に気持ちが飛んでしまいました。国立駅は私が子どものときの楽しい時間の象徴だったので、いろいろなことを思い出したのです。ふと我に返ったとき、ずいぶん長い時間さまよっていたような気がしました。

時間も距離も心には関係ない

現在、コロナ騒ぎで外出には自粛を求められていて、誰もが自由に出かけて人と触れ合うことに遠慮をするようになっています。でも、私は国立駅のニュースを見たことで、気持ちが一瞬遠くに飛んでいった経験ができました。

こんなときこそ、心を豊かにということをよく聞きます。自由に外出できなければ、自宅で読書や音楽鑑賞をしましょうということなのでしょうが、私には何だかピンと来ませんでした。でも、昔読んでいた本、聞いていた音楽、そして忘れていた古いアルバムなどを見ると、忘れていた記憶が蘇ってくることは確かにあると思います。

ただ思い出すだけでなく、そのときのリアルな感情を味わうこともできるでしょう。心は距離だけでなく、時間も関係なく好きな場所に行けるわけです。普段私たちはそれを忘れてしまっているのではないでしょうか。

心が自由だと思い出そう

心を飛ばすことに意味はない、と思う人もいるでしょう。でも、実際にその経験をすると、自分の不自由な状態を忘れることができます。心を自由に飛ばせる、遊ばせることができれば、これから先の苦しいとき、不自由なときに自分を助けてあげられるように思います。

明治生まれの作家・幸田文は寝たきりになっても、思い出して楽しめることがその人の財産になる、というようなことをいっていました。それは現実逃避とは少し違います。自分を助けてあげることで、苦しい状況を心穏やかに乗り越えていく力を蓄えられると思うのです。

誰にでも思い出すとうれしくなるようなことがあるはずです。忙しく、刺激がたくさんある生活ではそれが埋もれてしまっている人も多いでしょう。ぜひ、今それを思い出してみませんか。そして心は自由だということを再確認してみてください。

私にとっての国立駅のような存在がきっとあるはずです。今ならそれがきっと見つかるのではないかと思います。

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