お盆のとき、もうすぐ出張だと言うのでガタガタしていて、実家のお墓には行きませんでした。私1人で行くのが一番話が早くて簡単だと思うのですが、夫はいつも自分も行くと言って聞きません。
考えてみれば、私が夫の実家のお墓を掃除したり、お参りしたりしているわけですから、夫は私の実家のお墓にお参りするのを当然だと思っているのかもしれません。それで夫の気が済むなら良いことです。
お墓も道も混んでいた
毎年、お盆やお彼岸の最中に出かけると思いの外霊園が混んでいるので驚きます。霊園には特設駐車場ができているし、警備の人がわざわざ交通整理に立っています。それはコロナ禍でも変わりません。
レジャーは自分の楽しみのためですから、自粛しようという気になる人もいるでしょうが、お墓参りは家のため、亡くなった人のためという側面があるので、自粛するのはかえって気がひけるのかもしれません。
霊園の中は人で賑わい、行き帰りの道も車が渋滞して、かなり時間がかかりました。それに同じ日に続けて自分の家と実家、2回も墓参りをしたので、普段言えに引きこもっている私は少し疲れてしまいました。
みんな義務感でやっている?
日本中の人たちが、義務感に駆られて、霊園に移動しているなら、ちょっと考えものです。お墓があるから、こういうことになるのかもしれません。世の中には樹木葬という方法もあります。樹木葬は墓石の代わりに、樹が植わっていますが、その場合、やはりお盆やお彼岸にはお参りに行くのでしょうか。
亡くなった人のため、というのは自分のためでもあります。儀式を通じて、亡くなった人と徐々にお別れをしていくわけです。これを飛ばしてしまうと、キチンとお別れができないので自分自身が死を受け入れられなくなってしまうそうです。
しかし、葬儀や四十九日と違い、お盆やお彼岸は自分が生きている限り毎年やってきます。ずっと律儀に年中行事としてこなして行かなくてはならないのかと考えていると、私は少々憂鬱になってきます。自宅で亡くなった人が好きだったものを供えて、手を合わせるだけでも私は十分だと思います。
コロナを体験した私たちの後の世代はご供養の方法も考える必要があるのではないでしょうか。
自分の気持ちが抑えられないのは一緒
自分の義務感をどうにもできなくてお墓に行く私と夫。レジャーに出かける人。両者の間に何の違いもないように私には思えます。自分の気持ちを抑えられずに車に乗って出かけることに優劣はありません。
夫は道中ずっと道が混んでいると文句を言っていましたが、自分たちもまたその一因子になっていたのです。もうこれからはニュースを見ながら、なんでみんなウロウロ出かけるの~?などとは口が裂けても言えなくなってしまいました。