先日、長女と次女のことを育てにくかったと書きました。
しかし、娘たちのことは、降って湧いたことではなく、私自身が育てにくい子どもだったそうです。
これは母だけが言っていたのではなく、伯母や祖母までが口を揃えていたので、本当に大変だったのでしょう。
母は虐待を疑われた?
夜泣きをして夜眠らないだけではなく、昼間もあまりにも泣き叫ぶために、隣の家の住民や大家さんまでが、頻繁に様子を見に来たと言います。
母は虐待を疑われたんだ、と言っていました。今も児童相談所に通報された事例を聞くことがありますが、50年以上前から、余りにも赤ちゃんが泣いているのは、人の心を不安にしてしまうのかもしれません。
しばらくすると、近隣の住民にも私がよく泣く子であることがわかり、母への疑いは晴れたようです。
集団生活にも馴染めなかった
泣くことがなくなってからも、私は小学校で集団生活に馴染めず、体調を崩し、2回も入院しています。自分では精一杯真面目にしているつもりでも、結局周りに心配や迷惑をかけてしまうところは、現在の娘たちに通じるところがあります。
自分では普通に進学、就職を経験して、結婚したつもりでした。その時々で仲良く付き合った人もいましたが、今考えると私は普通の良い人であろうと無理をしていたようです。
今考えると、私はまったく人付き合いに向いていなかったのに、ことさらに友だちがいるように振る舞いたがっていただけだったようです。だから、今につながる付き合いがないのかもしれないなどと考えることもたびたびあります。
そんな自分に気が付き、孤独感や無力感に苛まれるようになっていた頃に妊娠しました。
育児でさらに考えるように
子どもが生まれれば、10年単位で忙しくなる、もう余計なことは考えなくなるだろうと思いましたが、育児は困難の連続でそれを訴えたら、母には一蹴されました。
お前が難しい子だったから、仕方がないよ。これも遺伝でしよ。いつかは楽になる日が来るよ。
確かにいつまでも子どもが夜泣きをするとは私も思ってはいませんでした。でも、その時の私は、育児に翻弄される生活の終わりを見通すことができず、出口のない世界に放り出されたような気持ちになりました。母の言葉でその思いはさらに固いものになりました。
そして、出口のない世界で娘たちを見続けたことで、さらに自分自身について考えるようになってしまったのです。
育児というものが必要なくなってから、もうかなりになりますが、今の娘たちの状態を見ると、やはり私の気質が色濃く遺伝して、彼女たちを苦しめているのかと考えてしまうことがあります。
同時にそれはおごりではないか、と思うこともあります。娘たちはいろいろあっても、自分なりにそれを乗り越えようとしているように見えるからです。その姿は明らかに私とは違います。
次女が引きこもりになったのだって、何かから自分を守ろうとしたのかもしれません。
相反する気持ちを持ちながら、私が言えるのは、育児について振り返るのは、自分自身について振り返ることにつながる、ということです。そして、それは結構辛いことなのです。
今回は、育てにくい子どもの今について、お知らせしました。娘たちもこんなふうに自分を振り返るようになるのかな…