みんなラクじゃない!

家族

今日、こんなタイトルに惹かれてブログを読んでみました。「私がラクする暮らし」と言います。実際に読んでみると、ラクする暮らしというのは、願望であることがわかりました。ブログを書いているtatoさんとその夫との生活がとても大変そうで、胸に迫ってきました。

そんなに悪い人ではないはず?

私が読んだ限りでは、tatoさんの夫が持っている個性は、私の夫のそれと似通っているようです。また、現在50代前後の男性に共通しているのではないかとも思います。

夕食を作っているのに、自分だけで別のものを食べるところ(我が家の夫は怒っていないときでも、平気でこんなことをします。おつまみだそうですが、最初にやられたときは、ケンカを売っているのかと思いました)や自分が勝手に怒ってへそを曲げておきながら、まるで妻が怒っていて自分が被害者のような顔をするところなどは思わず「あ~、あるある」と言いたくなります。

いろいろなブログにこんな夫が登場します。私自身が無意識にブログに書いているんじゃないかと思うほどです。きっとよくあることで、根はそんなに悪い人ではないと思います。でも、tatoさんのお宅は自営業だということで、毎日夫婦が朝から晩まで一緒にいるわけです。それは息が詰まるだろうな、と推測できます。

甘えが出ている?

ブログを読んで、我が家も含めて世の中の夫は妻に甘えているのではないか、ということに気が付きました。tatoさんの夫もいかにもかまって欲しい、夫として立てて欲しいという態度に受け取れます(あくまでもブログの文面から判断すると、ですが)。

自営業で仕事もサポートしてもらい、家事や育児もすべてお任せしているとついでに自分の面倒もみて欲しくなるのでしょうか。

我が家の夫は私と一緒にいるとき、口を開けば何かを要求する言葉だけが出てきます。これは愛情を確かめているのでしょうか?内容は些細なことで、最初のうちは言うことを聞いていました。キリがないのでここ数年はかなりの割合で断っていますが、要求は止みません。要求は足が疲れたから足の裏をもんでくれ、耳から毛が生えているとみっともないから、毛抜きで抜いてくれ、などです。

足が疲れるのは私も一緒ですが、夫が私の足をもんでくれることはありません。私が妊娠中、腰が痛いからもんでとお願いしたときには、こう言っていました。

夫

腰はもんだって、治らないよ。俺はムダなことはしない。

甘えが重なって負担になることも

他人が聞いたら笑ってしまうようなことですが、いくら些細なことでも毎日積み重なると、30年後にはそれが負担になります。tatoさんも毎日夫の機嫌に振り回されては、家事や仕事が予定通りに進まなくなることもあるはずです。暴力を振るう人などに比べれば、tatoさんの夫や我が家の夫は罪のない、かわいい夫だと考えられなくもありません。だから、離婚もせずに生活がそのまま続いているのでしょう。

でも、私もtatoさんも夫のお母さんではないので、甘えられても困ります。それにもし、本当のお母さんなら「自分でやりなさい!」と怒るでしょう。それがお母さんの愛情だと思います。

愛情がなくなったのか、迷走しているのか

我が家では子どもが生まれてから、お互いをパパ、ママと呼び合うようになりました。20年以上も呼び合ってきたことが原因で、役割が変化してしまったのでしょうか。傍から見て、もう愛情が感じられないような熟年夫婦のことを理解できない人もいるかもしれません。なぜ愛情がないのに一緒にいるのか、生活のためだけなのか、などの意見もブログなどで目にすることがあります。

でも、熟年夫婦はたとえ愛情が残っていても、お互いの役割を見失い、迷走しているのかもしれません。正しい役割に戻ることがあるのか、それは私にもわかりません。

結婚していても、していなくてもラクじゃないのは誰もが同じでしょう。だから、これからも迷走しながら、私たちは突き進むしかないのです。

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