先日ご近所さんがマクラメ編みの講習会に誘ってくれて出かけてきました。このとき帰りが遅くなって、夫に大騒ぎをされたわけです。
講習会も一段落して最後に皆でお茶を飲んでおしゃべりをしていたとき、ある女性が次女の近況について聞いてきました。この人は次女の同級生(男性)のお母さんで、次女が大学を中退してから引きこもっているということは数年前、すでに話していました。
今でも変わらずに家に引きこもっていると伝えると、その人は驚きを隠せないようでした。
え?まだ引きこもっているの?ずいぶん長いよね。もう5年以上じゃない。
言われてみれば全くその通りですが、急に5年経ったのではありません。毎日の積み重ねでこうなってしまったわけです。それでも人に言われると急に5年という月日の重さを感じるようになりました。家に帰ってからも、私は考え続けていました。
次女はこのままで良いのか
このままの生活を続けて10年、15年と経つのを良しとするのかと考えたとき、それは違うと思いました。今まで私たち家族は次女に対してはれものに触るような対応をしてきたと思います。次女の気の済むようにしてもらおうと、次女が夜中に1人でリビングにいても誰も何も言わなかったし、夕食の時間をきっちり守らないことも認めてきました。
次女の主張によれば、物音に過敏になっているため眠りが浅く、皆が眠っている時間にはうまく眠れず、夕方頃にとても眠くなるのだそうです。だから夕食の時間に無理に起こされても食欲がないと言うのです。
次女の言うことを認めてきたあげく、次女と家族の溝は深まってしまったような気がします。何しろ自分からすれ違い生活を作っているようなものです。家庭の中で次女の居場所は一体どこにあるのか、それで彼女は幸せなのかと私は改めて疑問を持ちました。
自分の子どもには幸せになって欲しいが
別に外でバリバリ働いて欲しいとか、友人をたくさん作って遊び回って欲しいとは思いません(そんなことは私にもできない)が、私は次女には自分なりの幸せを見つけて欲しいです。そしてその幸せを見つけるためには、ある程度の収入が次女にも必要だと思います。
直接的な話になりますが、現在は次女の国民健康保険と年金を夫が払っている状態です。いつまでもそれでは夫も嫌だとは思いますが、次女も大人としての自覚が持てないのではないでしょうか。
次女が生き方を変えられないなら私が変える
今、次女は自分でも何をどうしたら良いのかわからないように見えます。環境が変わるのが怖い(大体の人間にその傾向があると思います)という気持ちは強く持っているようですから、それで昨日と同じように生活しようと考えてしまうのでしょう。
多分、次女が変わることはないでしょう。今の生活が良いと思えないとしても、とても悪いものでもないなら、次女が自ら動いて生活を変えることはないと私は悟りました。
それなら、私が何かを変えてみようと思い、初めて引きこもりについて他人に相談してみることにしました。今までなぜそれをしなかったのかと言えば、なかなか複雑な気持ちがそこにはありました。
- 親の対応が悪いから引きこもりになったと言われるのが怖かった
- 相談をきっかけに次女に障害が見つかるかもしれないと思った
- 次女が何らかの烙印を押されてしまったと考えるかもしれない
特に最後の気持ちは、これで次女との信頼関係が壊れてしまうかもしれないとの思いがあり、今思うと恐怖に似たような気持ちだったと思います。
しかし、思い切って次女にこう言ってみました。
保健所やメンタルクリニックで引きこもりの人の相談にのってくれるんだって。私が車で連れて行くから、行ってみようか。
すると次女の反応は私が思っていたようなものではありませんでした。「珍しく私のことを心配しているんだね。ありがとう。嬉しいよ」こう次女は言って、本当に嬉しそうに微笑んだのです。
まずは予約から
我が家から一番近所のクリニックは現在予約でいっぱいのようで(メンタルクリニックはどこも予約でいっぱいのようですね)、3月以降の診療予約を3月2日の朝9時から受け付けるそうです。次女と相談の結果、私はこのクリニックを予約することにしました。まだ、予約が取れるかもわからないし、診療を受けてもすぐに問題解決にはつながらないでしょう。
しかし、クリニックに行くという目的の外出をすることはできるるし、帰りにどこかに寄ることもできます。次女が外出するのは数年ぶりです。定期的に通院するようになれば、定期的に外出ができるわけです。きっと何もしないよりは良い、私はこう信じています。
私が他人と話す機会を持たなかったら、こんなことは考えなかったでしょう。やはり他人には力があることを思わずにはいられません。他人とのかかわりには力がある、このことをいつかは次女もわかってくれると良いのですが…
それにしても、次女の言葉にも引っかかるものがあります。「心配しているんだね」とは何事でしょう。心配しているに決まっているし、それは私だけではなく、夫も長女も同じ気持ちです。それがわからない次女に違和感を覚えているのですが、だからこそ彼女は5年間も引きこもっているのかもしれません。