きょうだいを誰のために生んだのかと考えたら愕然となった・私の考えは間違っていたと思う

きょうだいが仲良くできるようになるのはいつ? 家族

私は常々複数の子どもを生んだ人に聞きたいと思っているのですが、目の前の子どものきょうだいを生もう、と思ったきっかけは何だったでしょうか?

きょうだいはいるべき?

私の場合は、長女が大人ばかりに囲まれて生活するのが不自然に見えてきたことが第一のきっかけでした。昼間はどうしても私と一対一で生活するため、それが段々息苦しくなってきたこともあります。きょうだいがいれば、そんな生活に風穴を開けてくれるのではないかと思ったのです。

それに自分にも弟がいたし、きょうだいはいて当然だと思っていました。私は若い頃、こうあるべきだという考えにがんじがらめになっていました。人間は結婚するべきだ、結婚したら子どもを生むべきだ、子どもを生んだらきょうだいを作らなければかわいそうだ、という当時の価値観に縛られていたと思います。

私が直接そういう考えだったわけではなくても、そういう価値観を押し付けられたときに逆らわず、従ったわけですから、やはりがんじがらめになっていたと言えるでしょう。

だから、私には2人の娘がいるわけですが、それは長女のためだったのです。このことに私はずっと気づきませんでした。気づかないふりをしていたのかもしれません。つい先日、このことに思い至ったとき、私は初めて次女に申し訳ない気持ちになりました。

次女はわかっていたのかもしれない

長女を育てるのも私にはとても大変でしたが、次女を育てるのはさらに大変でした。次女はとにかく私と離れない、少しでも気に入らないと嘔吐するまで泣く、夜泣きもひどい、いわゆる育てにくい子どもだったと思います。

当時は無我夢中で、とにかく今日を無事に過ごせればという思いで子育てをしてきましたが、今思うと次女はもっと自分を見て欲しい、認めて欲しいと思っていたのではないでしょうか。長女のための次女ではなく、次女は次女本人のために生まれ、生きていかなくてはなりません。私はそれをわかっていなかったように思います。

次女が今、引きこもりとなり私や夫に心配をかけているのは、自分を見て欲しいというサインを送っているのではないかと私は思い始めました。そうすると次女が長女とぶつかったり、まるで無視しているような行動を取るのも合点がいくのです。

人生をやり直しすることになる

これからもし次女が再び外に出られるようになるなら、それは子どもが初めて幼稚園や保育園に行ってお母さんと離れるのと同じことのような気がします。もう1度人生をやり直すことになるのです。しかし、次女はまだ25歳です。今やり直せればまだまだ人生は長い。

いつかは生きていて良かったと思えるようになるかもしれません。私があなたという子どもに会いたくて生んだんだよ、そう心の底から思っていれば次女の人生はもっと違ったかもしれないと思うと胸が痛いです。こんなことを言っても、もう仕方のないことです。誰の人生でも先に進むしかありません。

皆さんはきょうだいを第一子のために生みませんでしたか?こう考えると2番め以降に生まれる子どもは、生まれながらにして不利ですね。

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