長女だけでなく、次女も発達障害の可能性を指摘されて私はショックと言うよりもああ、やっぱりという気持ちが強いです。私は子どもが女の子しかいませんから、よく傍からはかわいくていいわね、女の子は楽でしょう、などと言われていました。
しかし、私はそれに素直にうなずくことができませんでした。どこがどうとは言えませんが、明らかに何かが違う、何だかやりにくいと常に思っていたからです。かなり成長して中学生くらいになっても、その違和はなくなりませんでした。
他人には伝わらない違和感
いつまでも生活サイクルが作れない(変な時間に眠くなるかと思えば、深夜まで起きている)、やたらと食べ物に好き嫌いがある(長女は緑の野菜はすべて嫌がるし、次女は肉と魚が嫌いと言っています)、勉強ができない(身が入らない)、そして進みたい方向がないため進路が決まらないなどです。
どれもこれも一見親の躾が悪いように見えますから、実家の母はもっと母親(つまり私)が毅然として、強く言えば子どもはみんな言うことを聞くわよ、などと言っていました。
しかし、自分で説教している最中に、何も伝わっていないとわかるのです。何とも言えない虚しい気持ちになり、私はムダな抵抗は止めてしまいました。
この気持ちを誰かに言っても、うちもそうよ~とか、気にしすぎなんじゃない?などと言われるのがオチで、深刻な悩みとは受け取ってもらえませんでした。そのうちに娘たちも成人して、育児の悩みなどとは無縁になったと思ったところでの、発達障害の可能性でした。
発達障害だと思えば辻褄が合う
ただ、発達障害だと思うと今までのことが何もかも納得できました。別に娘たちが悪かったんじゃない、私が悪かったわけでもない、と今になって思い、ホッとしています。そういう特性のある子どもだったんだから、仕方がなかったと思えて良かったです。
生活サイクルを作ろうと、無理に娘を起こすとか、好き嫌いをなくそうと野菜も食卓に載せるとかいろいろやってきましたが(夫にはそうした方が良いと言われました)、すべてはムダな抵抗だったのです。
我が家の娘たちは、外で暴れるとか乱暴するタイプではなく、表面上は問題を起こしませんでした。だから私が子育てに迷っているとは、誰にもわからなかったのではないでしょうか。
でも、一見問題がなさそうに見えても、実は我が家のように問題が隠されていることもあるはずです。見えにくい問題があることも、もっと世の中に知られると良いと思っています。
我が家でももっと早く発達障害について知っていたら、もっと違う対処ができたかもしれません。そうしたら、親も子もお互いがもっと幸せに生きられたのに、と思うのです。