この間、お父さんが気に入って自分で植えた金柑の木を切ってしまった、という話を読みました。あんなに気に入っていて、実もたくさんつけていたのに、どうして?と問いかけても、お父さんは答えることができなかったそうです。「切ってしまったんだよ」と言うだけだったお父さん。その後認知症を発症していたことがわかります。
我が家でも似たようなことが
お父さんはその後亡くなりましたが、切り株になったと思っていた金柑の木は、再び芽を出し、実をつけるまでになりました。この話を知って、私は夫の祖母のことを思い出しました。夫の祖母も敷地内の立派な柿の木とすももの木を切ってしまったことがあります。
それもわざわざ業者を呼んで、切ってもらったのです。平日の昼間に頼んだので夫は仕事で家にはいませんでした。しかし、生まれた時から過ごしてきた家の庭の中のことです。夫は夜暗くなってから帰ってきたのに、すぐに異変に気が付き、祖母を問い詰めたのです。
夫が大声で問い詰めるものだから(夫は普段から声が大きいです)、祖母も大声になりました。「ジャマだから切ってもらったんだよ!悪いか?!」
切られた木はゴミとして処分してもらったそうです。私は木を切っていることには気が付きませんでした。それに気がついたとしても、あまり疑問に思わなかったでしょう。祖母は木が大きくなりすぎると、庭の中でジャマになると思ったそうです。見ているだけで圧迫感があって嫌になるとも言っていました。そう言われれば、私はそうなのか、と納得して、それでは切るのも仕方がないね、と考えたに違いありません。
しかし、夫は祖母の説明にはまったく納得しませんでした。かなりいつまでも怒っていたと記憶しています。
俺に黙って、せっかくあそこまで育った木を切ってしまった…何かに役立てるならともかく、ただのゴミとして処分するなんて、木がかわいそうで仕方がない。ばあちゃんは勝手だ!
考え方1つで違う受け取り方ができたのに
夫は祖母が木を切ったことを、わがままな振る舞いと受け取ったようですが、もし祖母が認知症を発症していたとしたら、どうでしょうか。そんなに悪く受け取ることはなかったように思います。親しい間柄だと、なかなか認知症だと認めることはできませんが、相手の状態を正確に把握しておくことは、家族だからこそ大切です。
相手の状態を正確につかんでいないと、例えば外出した先から戻ってこれないなどの思わぬ事故や事件に発展する恐れもあるでしょう。
それに祖母の死後、夫も何本かの木を切って処分しました。夫に言わせると、もう傾いてしまったような危険な木を頼んで切ってもらったのだから、祖母とは違うのだそうです。確かに切る前には植木屋さんが木に御神酒をあげ、敬意を払って作業に取り掛かっていました。
しかし、木を切ること自体は祖母がやったことも夫がやったことも変わりはありません。祖母も心の底では自分の人生がもう長くはないことを悟っており、身の回りをキレイにしておきたいという気持ちがあったのかもしれません。そう考えれば、そんなに祖母のやったことを怒る気にはなれないと思うのは、私が祖母とは他人だからでしょうか。
一番の被害者は木?
まあ、一番気の毒だったのは木そのものです。私は団地で育ったこともあり、木については軽く考えていました。切っても、また伸びてきたら前と同じ木になるのではないか、などと考えていたのです。柿もすももも、伸びることは伸びましたが、以前の木とはまるで違う様子になってしまいました。
なんというか、勢いがないのです。切るまでは両方ともたくさんの実をつけていましたが、切ったあとは幹が成長しても、花の数は減り、実もろくにつけなくなりました。そしてたまにつけた実も、食べられる代物ではなくなっていたのです。以前の様子を知っている者にとっては、とても寂しいことになってしまったわけです。
木は夫のように大声で文句を言うわけではありませんが、その様子を見ていると、何だか辛くなりました。私には夫の大声よりも数倍、効き目がありました。木はちゃんと痛みがわかるように思います。最初に紹介した金柑の木、再びなった実の味は果たしてどうだったのでしょうか。