発達障害の疑い濃厚の長女を見ていて感じる・生きにくさを解消するためには諦めることも必要?

長女

毎日読んでいる新聞の生活欄で、発達障害を抱えた女性の生きにくさを特集していました。発達障害を抱えた人は、部屋を片付けられないという傾向が強く現れるようです。私の長女も正確な診断を受けたわけではありませんが、メンタルクリニックの医師からかなり発達障害の可能性が高いと言われており、部屋はとても物が多く、散らかっています。

独身のときは単に部屋が散らかった人で済んでいても、結婚生活を始めるとともに、その傾向が問題になることが多かったようです。発達障害を抱えた人は単に片付けだけが苦手なのではなく、家事全般を、仕事や育児といったさまざまな事柄と両立させることが困難だからです。

発達障害の女性の人生は痛々しく感じた

新聞で記事として取り上げられていた女性は結婚を2回経験しており、最初の結婚では気が散りやすく家事ができないことが原因となり、夫からモラハラを受けることになってしまいました。

幸い2度めの結婚では夫の理解を得られ、そこで初めて自分が発達障害であるという診断を受けます。薬の服用で次から次へと考えが出てきて気が散ってしまうことがなくなり、一度に2つのことをこなすこともできるようになります。彼女は初めて普通の人が見ている世界を見たと感じるのです。

しかし、自分の生活がいかに不自由なものかに思いが至り、彼女は理解ある夫と離婚。せっかく授かった娘とも離れます。そして現在は乳がんと闘いながら、発達障害を理解してくれる職場で仕事をして一人で生活しているということです。

その人にとっての幸せは往々にして周りの者にはわからないことがあります。だから、現在彼女が幸せならばそれで良いと思いますが、私は彼女の人生が痛々しく感じられました。もしかすると長女のことを彼女の姿に重ねて見ていたのかもしれません。

誰でも傷つかない人生を送るために

転ばなくても良い場所で転んで、傷がたくさんできてしまった人のように感じられました。傷ができてもできるかぎり少なくするためには、何か方法はないのかと考えてしまいました。

長女は発達障害の可能性を指摘される前から、「私は結婚して、あれもこれもやらなくてはならない生活は無理」とよく言っていました。結婚すると例え専業主婦になったとしても、炊事・洗濯・掃除をこなしながら、育児や介護を担わなくてはなりません。そして不意の用事にも対応しなくてはならない生活というのは長女には考えられないし、また考えたくもなかったようです。

そして長女は今でも自分が好きなこと(漫画を描くこと)を一番に考えながら生活しています。バイトはしていますが、あくまでも自分が好きなことを続けるための資金を調達するための手段でしかありません。以前のバイト(書店員)はあまりあっていなかったようですが、現在のコールセンター業務はもう3年以上続いています。

長女はあれもこれも望むのはやめて、自分の好きなことをしぼることでなんとか生活ができています。考えてみれば、私も小学生のころに母に厳しく片付けをするように言われ、あまりの剣幕に自分にはものの管理をするのは無理だと諦めてしまいました。以来、ものが増えると自動的に捨てるように心がけています。私も多くのことが多分できないのです。

結婚してからも早々に仕事と家事・育児の両立を諦めてしまいました。

あれこれしないことを大切にしたい

現在、女性はさまざまなことをしなくてはならない人生を強いられているような気がしてなりません。仕事をしていきいきと働き、子どもを生んで楽しく育児をして、夫とも恋人のような関係を保つのが理想の姿のようになっています。その理想の姿がいつの間にかこうあるべきだという縛りになっているのかもしれません。

発達障害があるかないかに関わらず、ラクに生きるためにはあまりにも多くを求めないことが必要だと思います。考えてみれば昔の芸術家はみんな発達障害の要素があったようです。だから、パトロンが面倒をみてあげたのではないか、などとくだらないことを考えています。長女もそんなふうになれるかな?思っているだけは自由ですよね。

それにしても好きなことがあるって、どんなときにも強いです。

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