橋本病と診断されて、1つ思い出したことがあります。今更どうしようもないことですが、ブログに書いたら気が紛れるかもしれないので、書いてみます。
橋本病はやたらと疲れる病気だということですが、私は幼い頃から口癖が疲れたと面倒くさいだったため、疲れるということに対してあまり危機感を持ちませんでした。ただ、私の疲れるは人と違うなと感じたのが、PTAの役員をやるときでした。
私は人と違うかも…と自覚したとき
次女が中学生のとき、私はPTAの本部役員をしましたが、とにかく無意識のうちに「疲れるからやりたくありません」と言っていたようです。後から親しく話をするようになった人にはこんなことを言われました。
最初、ゆみこねこさんのこと、すごくやる気のない人かと思っていたの。この人と一緒にうまくやっていけるかと不安だったけど、実際はすごく真面目な人だったんだね。
彼女は私がすぐに疲れたと言うのは、やる気がないからだと思い、仕事の負担がすべて自分に来たらどうしよう、と不安な思いになったのでした。私はそれほどみんなが疲れたと文句を言わないことの方が驚きでした。PTAの役員をしているのは、多少の違いはあっても、みんな同じような立場にいる人たちです。
下手をすると仕事を持っている人など、私の何倍も大変な思いをしていたわけです。それなのに、みんなそれほど文句を言わないし、疲れを我慢しているようにも見えません。
今、疲れの理由はわかったが
当時の私の生活は今とほとんど変わりがなく、朝5時に起床、夫を送り出して家事をして、というものでしたが、それにPTAの集まりなどが加わると、何とも嫌な気持ちになったのです。
予定があるだけで、実際に何かをする前に疲れてしまうとでも言えば良いのでしょうか。とにかく当時はカレンダーにPTAの予定があるだけで、心の負担を感じていました。
今考えると、私はきっと当時から甲状腺機能が低下していたのだと思います。実際にその年の冬、夜間パトロールに参加、夜道を歩いて寒い思いをした私(一人だけ震えが止まらないほど寒がっていました)はその後ひどいしもやけになり、10年以上苦しむことになりました。これも甲状腺の機能低下により、代謝が悪くなっていたためだと思います。
あまりのひどさに(痒い!痛い!)皮膚科の医師に診察を受けましたが、手を冷やすな、濡らすなと言われただけでした。しかし、しもやけは毎年ゴールデンウィーク近くになるまで完全には治らず、どこかおかしいと思いながらも生活をすることになります。
もう遅いけどね
今になってあの頃の自分の状態がとても納得できるというか、腑に落ちたわけですが、そうなるとちょっと言い訳がしたくなってきました。
疲れたと連発して、申し訳ない!悪気はなかったんだよ~。私が悪いんじゃない、みんな甲状腺のせいなんだ~。
などと言いたい気持ちもありますが、今となっては仕方がありません。別に無事に役員は終了したのだし、それに甲状腺も私自身です。甲状腺のせい、それはすなわち私のせい、ということでしょう。不安だったと打ち明けた女性の顔を思い出すたびに、なんとなくほろ苦い気持ちになる私です。