先日、夫と買い物に出かけたときに、夫が自分の知り合いを見つけて声をかけました。ちょうどスーパーの出入り口で、相手はもう帰るところ、私たちはこれから買い物をするところで、すれ違ったわけです。
相手と私たちの距離は2~3mほど開いていたでしょうか。夫が一生懸命に名前を呼びましたが、相手はまったく気が付きません。声の大きい夫でしたが、知り合いには夫の声はまるで聞こえないようでした。
気が付いてもらえない事実に夫は…
何度も呼びかけて気が付いてもらえないのは、夫としても気まずいようでかなりしつこく呼びかけて、やっと気が付いてもらえましたが、そこまでして特に話があるわけではなく「それじゃあ、また今度」と言って、あっさりと別れたのです。
その後夫がポツリとつぶやきました。「俺の声はやっぱり聞こえないのかな…」これはかなり私も思うところがあります。夫の声質はクリアには聞こえない上に、口を開ける労を惜しんでいるのか、滑舌も良くありません。だから、常に私は話が聞こえにくいから、あまり遠くから話しかけないようにと言っているくらいです。
それでも、さすがに少し気の毒になって「まあ、マスクをしているせいもあるんじゃない?」などと、フォローともいえないような言葉でその場をごまかしてしまいました。
気が付かないのには理由がある?
ただ、自宅に戻ってからよく考えると、他の理由もあるような気がしてきました。私にも身に覚えがあることですが、必ずその人がいるとわかっているところで会うなら良いですが、自分が1人で出かけた先など、その人がいるかいないかわからない場所では問題が起こるのです。
なにかの集まりなどで今日は〇〇さんが来る、とわかっているときは、問題なく〇〇さんと話ができます。しかし、そうではない場所で〇〇さんを見かけても、本当に本人なのか、よく似た別人なのか急に自信がなくなり、声をかけにくくなります。
挨拶をしようかと迷う時間はとてもムダだし、あれこれ考えるので自分が疲れてしまいます。最近はマスクのせいで、余計に人の判別ができないため、私たちは知り合いがいるかもしれない、という可能性を自分から考えないようにしている気がするのです。
私たちは知り合いを見つけるアンテナをもう、引っ込めてしまっているのではないでしょうか。
アンテナをすっかり引っ込めてしまっていると、自分にかけられている声も全然関係ないただの騒音に聞こえてしまうのではないかと思います。だから先ほどの夫の知り合いにも、夫の声がまったく聞こえていなかったのではないでしょうか。
これから外であっても声をかけないのが常識になったりして
大体マスクをしていると顔が判別しにくいだけでなく、誰に向かって話しかけているのか、などもとてもわかりにくくなります。レジなどで目の前の店員さんが話しかけているのに、気が付かなかった経験をしたことがある人も多いと思います。意思の疎通には、やはり口元が大切なのだと思わずにはいられません。
以前は私もスーパーの中で知り合いに出会うと、挨拶だけでなく世間話をしていましたが、今のような状態が続けば、そのうちスーパーで出会ってもわざわざ声などかけないのが、世間一般の礼儀になるかもしれないな~と思っています。「あの人、スーパーで会っただけなのに、わざわざ挨拶してくるのよ。押しが強いわね~」などと言われる時代になったりして…
そうなる前にコロナが落ち着いて、みんながマスクを外せるようになれば、また違った世界になるのかもしれませんね。