甲状腺ホルモンの値が低いことで、橋本病と診断され治療が始まってから3カ月が経ちました。治療と言ってもホルモン剤を飲むだけなので、最初はそれほど変わらないのではないかと思っていました。何となく調子が良いような気にはなりましたが、それこそ何となくだったため、本当に効果はあるのかな…という感じだったのです。
本当に効果はあるのかと思ってしまうと、治療そのものに対する疑問も湧いてきます。診察も薬も、血液検査もみんな有料ですから、私は何となくのために無駄遣いをしているのかと考えてしまったわけです。
小さな変化でも、重なることでラクになれる
でも今年はお風呂に入るのが昨年までのように苦ではありません。昨年までは湯船に入っている最中にいくら追い焚きしても身体が温まらず、冷えて仕方がありませんでした。それを私は自分が年を取ったから寒さが応えるのだとか、我が家のお風呂に欠陥があるのだと思っていました。
しかし、今年になってからはまだそんなことを思ったことがないので、あれは私に原因があったのだなと実感しています。昨年は窓ガラスを拭くのも疲れて大変でした。何回にも分けてやっていたのですが、今年は考える前に終わってしまったという感じです。
昨年の今頃はしもやけになっていましたが、今はなっていません(これからなるのかもしれませんが)。いちいち上げていくとキリがありませんが、今はこんな小さな変化がたくさんある感じです。考えてみれば、人間の生活は小さな積み重ねですから、それが1つずつ良くなっていくと、いつかはとても良い状態になれるのではないでしょうか。
まあ、私にとってしもやけは小さなことではありませんが…これはなってしまうと、1日中どこかが痒かったり、痛かったりしてとても不愉快です。この10年くらい、毎年冬の始めには今年こそしもやけにならないように、と強く思っていました。
それなのになってしまうと、とても落胆して自分の生活習慣が悪いのか、などと考え込んでいたのです。だから今しもやけになっていないという事実だけで、とても嬉しいのです。
運命を感じた理由
実はしもやけを何とかしたいと思い、数回医者に行ったことがありました。1度は今通っている内科の医院に行ったのです(まだ先代の医師が診察をしていました)。最初、医師はこう言いました。
ただのしもやけですから、心配いりません。洗い物はゴム手袋をして、保温するように努めてくださいね。
私はすでにできる限り手を冷やさないようにしているのに、それでも毎年しもやけになること、ゴールデンウィークが始まるころまで完全には治らないことを伝え、これはおかしいのではないかと訴えたのです。そのとき、先代の医師が「もしかして…」と言って私の首を触りました。先代の医師は甲状腺の異常を疑ったのです。
しかし、そのときは私の首がまったく腫れていなかったことから、医師は「違うようです」とつぶやき、話はそこで終わってしまいました。それが今から10年くらい前のことです。
現在、その医師は亡くなって、彼の娘さんが私の治療にあたっています。このことに私は運命のようなものを感じます。1度はダメでもまた次にチャンスはあるし、どんなことでもなるようになるのだと思います。これは私の甲状腺のことだけではなく、他のいろいろなことについても同じことが言えるのではないでしょうか。
甲状腺のことから運命を考える、これは私自身に余裕ができたからこそ、できることかもしれません。