朝、皿洗いをしていると自宅の横の道を救急車が走って近づいて来るのがわかりました。ちょうど我が家の直前でサイレンの音を消してさらに走って行ったので、どうしても気になり、外に出てみました。
すると我が家を通り越して、我が家の向かいにある貸家の前に救急車が止まっています。そこは、先日私が生まれて初めて安否確認をした高齢女性のお宅だったのです。
様子を見ていたが状況はわからなかった
やはり気になったのでしょう、近所の顔見知りの男性が見に来ていたので、少々話をしましたが、私が安否確認をしたとき、やはり貸家に住む女性は入院していたそうです。
女性は道で転倒、大腿骨骨折の疑いがあると言われましたが、病院に空きベッドがないということで、なかなか入院できなかったそうです。やっと入院治療をしたあと退院。その後は自宅に戻っていたのですが、今朝また救急車を要請する事態となったわけです。
聞けば高齢女性はもう90歳に近い年齢となっているとのこと。一人で生活するには無理が出てきたのかもしれません。しばらく男性と一緒に様子を見ていましたが、女性は一向に運ばれてきません。救急隊員にもそれほど切迫した様子は見られなかったので、私と男性はその場を離れました。
誰でも年を取るから、不安を感じる
私が当地に引っ越してきてから30年近い年月が流れています。引っ越ししてきた当時、1歳半だった長女は30歳を超えました。それだけ年月が流れているのだから、女性が年を取っていても何ら不思議はありませんが、やはり何か寂しいものを感じてしまいました。
生活も苦しいそうだし(それは近所に住む別の高齢女性から聞きました)、親族とは折り合いが悪いようだし(娘さんがたまに訪れますが、必ず派手な喧嘩をするので近所では有名です)、一体女性はこれからどうなるのか、どうするのが一番良いのかと考えてしまいます。
別に私が考えることではないですが、この女性が安心して生活できないなら、私にも安定した老後はないような気がするのです。
私の結論は
女性はつい最近までご主人と2人で暮らしていました。よく畑仕事をしているところを私も見かけていたのですが、ご主人が亡くなってからはあまり見かけることもありませんでした。2人で年金をもらっているうちはよかったけれど、1人になったら生活は苦しいのか、などとも考えました。そして年を取ってから急に1人になることの孤独も女性を苦しめたのかもしれない、とも考えました。
結局、私の思考の行き着く先は、長生きするって大変だということです。健康に気をつけて、とは自分も思いますが、いくら気をつけても老いからは逃げられません。老いればいろいろな不都合が出てくるでしょう。そうなれば、他人の手を借りなくてはならないかもしれません。それがお金で解決できる人は良いけれど、そうでないなら…
だから、私は必要以上に健康に気をつけないほうが良いという結論に達しました。この国では安心して長生きができないようですから。本当に女性がどうなるのか、気になっています。