8月31日は我が家の次女の誕生日です。27歳になりました。引きこもったまま、また1年が過ぎたわけです。
もういい年ですが、夫が誕生日はどうするんだ、とうるさいので一応どうするか尋ねました。昨年と同じく別に特別なことはしないで、ということでした。
盛大なご馳走はなくても
私もそれはそうだろうな、と思います。次女は家族と一緒に食事をすることがないため(これは引きこもりあるあるだと思いますが)、特別なものを用意しても一人で食べることになります。それに次女は少食で、最近では健康に影響しないかと心配です。肉も魚も生臭いと嫌がるため、普段と同じ食事の方が、気楽に食べられるのではないかと思います。
そう思ってはいても、27歳にもなった次女の誕生日に、私はどうしても完全に知らんぷりをすることができず、今日の夕食にお赤飯を用意しました。ご飯は普段から食べていますから(ほんの少量ですが)、その代わりにお赤飯を食べるくらいは次女の負担にならないと思います。
実家では高校生になったら誕生祝いはしなかった
考えてみると、私の母はそういうところはとても割り切った考えでした。私が高校生になってからは誕生祝いなどしませんでした。事前にこう尋ねられたのです。
ねえ、いつまで誕生祝いってやるの?もう、いい加減やらなくても良くない?
私もそれもそうだな、と納得して「もう、小さな子どもじゃないんだから、家でお祝いはしなくていいよ」と言ったのです。こうして私の実家では誕生日は普通の1日になりました。当時、随分ドライな母親だなと思いましたが、今考えるととても気楽で良かったです。
このままでは一生誕生祝いの心配をするかも
子どもが無事に巣立てば、自動的に誕生祝いをしなくて良くなりますが、我が家の娘たちは一向に巣立ちません。このままだと80歳になった私が48歳になる次女に「誕生日はどうする?」と尋ねることになるかもしれません。
今のうちに誕生祝いなどやめた方が良いと思いながら、誕生日を気にするのは何だかストレスです。次女もそれがわかっているから、特別なことはしないでいいよと言っているのかもしれません。それにどうやら、次女はまったく働かずに家にいることに、少々遠慮を感じているようなのです。
そんな次女に盛大な誕生祝いをするのは、かなり重荷になるに違いないと私は思うのですが、実際のところはよくわかりません。
なにもしないと言いましたが、私がお赤飯を作った他にも、長女と夫がコンビニのスイーツを買って来ました。いろいろあっても、誕生日は忘れない長女の気持ちは嬉しいものです。
最近の次女はコンビニにも行けていないため、気分が変わって良かったのではないかと思います。嬉しそうな顔で笑っているところは、幼いときのままのように見えました。
なにか特別なことをせずに、ほんの少しの心配りをすることでこれからもお祝いの気持ちを表して行ければと思っています。
家族みんなが良い1年になるように
とりあえずまた新たな1年が始まります。次女にとって少しでも良い1年であることを願ってやみません。それと私ももうすぐ誕生日です(次女と私の誕生日は4日違い)。とうとう50代も残りわずかとなりました。私も少しでも良い1年を過ごして、幸福感の高い60代を迎えたいと思います。