最近の夫は、自治会の仕事や囃子連への参加もあって休日がほとんど潰れてしまいます。常に「草刈りができない、畑の雑草が気になる」と口にしていて、暇を見つけては外での作業をやっている状態です。
畑だけでなく敷地内の草刈りも大変
我が家ではかつて農業を営んでいたため、当時の畑がまだかなり残っています。市街化区域に指定されているため、売ろうにも売れないという事情もあります。
そこでこれらの畑(中には空き地になっている場所もあります)は無料で人に貸したりします(こちらとしては草が生えなければ良いのです)。
畑は少し放置していると、草ぼうぼうの状態になりますから、役所から「ご近所の方から苦情が来ていますので、草刈りをお願いします」と連絡をもらうことになります。そうならないためには、定期的に草刈りをする必要があるのです。
この他に我が家の敷地内の草刈りもあります。敷地内同居を始める時に、母屋とは別に我が家を建ててしまったため、我が家の裏はかなり広い空き地になっています。最初の家は刈払い機を購入して、草刈りをしていましたが、それでは追いつかず、とうとう少し大型の草刈り機を購入しました。
どちらも私の手に負える代物ではなく、私は草刈りについてはまったく戦力外です。最初は機械ではできない端の方の草むしりを担当していましたが、そのうち夫がこんなことを言うようになりました。
端の方まで完璧にキレイにしなくてもいいんじゃないかな。ゆみこねこも無理して草むしりをしなくていいよ。疲れると後が大変でしょ?
私と夫はどっちもどっちだった
毎年この時期は夫は常に草刈りをしている状態ですが、これがどうにも私には面白くありません。草刈りが終わった後に夫が疲れたなどと言おうものなら、何だか草刈りができない自分が責められているように感じるのです。
しかし、夫が私を労って、草むしりをやらなくて良いと言ってくれているのもわかります。だから、余計にモヤモヤするのですが、よくよく考えると、これって私が会社員をしていたころの家事分担をするとかしないとか言っていた頃の状態に似ているのではないかと思えてきました。
あの頃、夫も手伝いたいけど手伝えない、というジレンマを感じていたのかもしれません。家事にも草刈りにも、その人のやり方というものがあります。下手に手を出すと、相手の気分を損ねるだけですから、手を出すのにも勇気がいるでしょう。
今、夫は草刈りや畑仕事を人に教えるなら、きちんと最後まで教えたいし、教えた相手にもきちんとやって欲しいと言っています。私が片手間に手伝えるものではないでしょう。
つまり私と夫はどっちもどっちだったわけですが、それはそうでしょう。そうでなくては、30年以上も夫婦を続けて来られなかったはずです。
先のことは考えてくれているのかな?
今私が心配しているのは、もし夫が先に死んだらどうするのかということです。私が先に死んだ場合、家事はそれほど心配ないでしょう。今はお金さえある程度出せれば、食べるものの心配はしなくても良いです。
しかし、草刈りを人に頼むのはとても費用がかかります。後に残ったものにとっては、家事よりも草刈りや畑仕事の方が大問題です。そこを夫はどう考えているのか…今はとにかくこの夏が終わって、草が自然に枯れてくれないかと思っています。