雛祭りが終わりました。嫌々作り始めたちらし寿司も完成。
はまぐりのお吸い物、茶碗蒸しとともに無事に食卓に並びました。
雛祭りの献立を作るのが嫌な理由
ちらし寿司の何が嫌って、それなりに手がかかるのにそれだけでは食卓が寂しいところです。夫からは他に何かないの?と聞かれてしまいます。実は茶碗蒸しも同じ類の料理だと思います。
卵を同じ個数使うなら、かに玉にした方が圧倒的にメイン料理と言った感じがします。ちらし寿司も茶碗蒸しも、作っているときにとても報われない感じがするのが私は嫌なのです。
完成した料理を見て夫はこんなことを言うので、また腹が立ちました。
食卓に青いものが何もないね。菜の花を買えば良かったのに~。
ちらし寿司の材料を買いに行ったときから、人の多さに嫌気がさして(土曜日でした)、夫が何か言うだろうなと思いながらも、野菜売り場に引き返す気力がありませんでした。
菜の花を喜ぶのは夫だけ(娘たちは決して菜の花を口にしません)と言うのも、気力を削ぐ一因になったような気がします(別に夫は雛祭りの主役ではありません)。
私も食卓を見たとき(お吸い物と茶碗蒸しのミツバ以外に緑がなかったです)、家にあるブロッコリーでも茹でようかとも思いましたが、やはり気力がありませんでした。報われない感じを伴う作業をしていると、著しく気力が削がれて行くようです。
心がひねくれそう
まあ、とりあえず雛祭りの食卓は皆に喜んでもらえたようで良かったです。しかし、著しく気力を削がれている私は、喜びの声を素直に受け止めることもできませんでした。
「美味しい」とか「今日はごちそうだね」という言葉を聞く度に、『まるで普段はちゃんと作っていないみたいじゃん。そんなことないよね?』などと心の中で毒づく始末。直接口に出していないから、これは許されるのでしょうか。
それともこんな心の中はいつかは表に漏れ出てしまうと考えて、なるべくなら自分が嫌なことはしない方が良いのでしょうか。
お雛様をしまうのにもモヤモヤする
そして雛祭りが終わると、お雛様をしまう作業が発生します。これもいつまでも先送りしていると、自分で自分が嫌になるし、お雛様を見るたびに『あ~、まだしまっていない…』などと考えることになって、お雛様にも申し訳ありません。
それが嫌すぎて、私は3月4日にはお雛様をしまうことにしています。雨の日にしまうことまではしませんが(お雛様がカビる原因になるそうです)、3月4日が晴れや曇りなら必ずしまいます。今日も先ほどお雛様をしまい終わりました。
ですが、これも立派な作業です。作業があれば負担も生まれるわけです。モヤモヤしながら私の3月は始まり、このままお彼岸へと突入するわけです。最近では夫の季節を大切に、しきたりを大切にというお説を聞くだけで不愉快になっています。
普通に考えれば季節やしきたりを大切にするのは、良いことなんですがね。