もう今年も残り少ないからでしょうか。テレビでも新聞でも、今年亡くなった有名人を取り上げているのが目につきます。それを見て『ああ、この人も今年亡くなったのか…』と思うことも度々ありますね。
それでも有名人というのは、自分とどこかかけ離れたところにいる人です。亡くなったと聞いて、一瞬はドキリとしますが、大体の場合はそれだけで済んでしまいます。しかし、少しでも自分と縁のあった人だとしたら…何とも言えない思いになります。
長女の同級生が
実はつい最近、長女の同級生だった男性が亡くなっていたことがわかりました。小学生のときは数回我が家に遊びに来たことがあったっけ(長女が言うには、別に仲良しではなかったとのこと)。複雑な家庭環境だった男性を主に祖母が育てていたそうです。
母親と離れて暮らしている寂しさからでしょう。我が家に来ると食事の時間になっても帰りたがらないので、困った記憶があります。「もう、帰りなさい」と言っても彼は帰らない。食事の時間だから、と言うと「僕に構わず食べてください。僕はお腹が減っていないから大丈夫です」などと言うのです。
人懐こくて、いつも笑顔で礼儀も正しかった同級生。ケチをつけるところなどないのに、私はなぜか彼に危うさを感じて、見ているのが嫌でした。今になってみれば、彼は普通の家庭にお母さんがいる状況に身を置きたかったのかもしれません。
せっかく自立したのに
彼は高校を卒業すると同時に働き出しました。彼は母親にも祖母にも頼らないで、一刻も早く自立がしたかったのだと思います。最後は夜の世界にいたそうですが、そこでの生活は彼の精神を蝕んでしまったのかもしれません。
亡くなる数日前には、小学生のころに仲良くしていた友人に連絡をしたそうです。彼は女子と仲が良かったのですが、それが仇となってしまいました。30代に入ったばかりの女性は結婚や出産で生活が激変。会いたいと言われても、簡単には身動きが取れなくなっていたのです。
数人の友人に連絡を取った後、彼は死を選びました。こうして彼のことを思い出すと、何かひとつ死の原因があったというよりは、何もかもが死に結びついたような気がします。
残された祖母は
私は彼の祖母とも数回顔を合わせたことがあります(祖母と言っても私と10歳も違わない年齢だと思う)。小学校の保護者会だったか、とても大切に彼を育てているのが伝わってきました。何のきっかけだったのか、こんなことを言っていたのを、私はハッキリと覚えています。
「あの子は本当に優しい、優しい子なんです」
そう言っていた祖母という女性はちょっと辛そうな顔をしていました。優しいが故に孫が傷つくことがわかっていたのか…こんなことを言っても無理かもしれませんが、彼女(祖母)があまり辛い思いをしないようにと願ってしまいます。
同級生の男性は、自分の性別に違和感を覚えていたようです。女子と仲良くしてたのもそれが影響していたのかもしれません。自分らしく生活できる場所を探して、夜の世界に入ったのかもしれませんが、結局居場所は見つからなかったのか…
考えていると止まらなくなりそうです。まあ、考えても特に結論は出ませんが。
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