私の実家の墓は父が亡くなる前、病気が発覚したときに母が購入しました。父は49歳のときに脳出血で倒れて、ずっと実家で静養していましたが、70代になって肝臓がんが発覚したのです。
次男次女の夫婦だった父と母は40代を迎えて、何のゆかりもない埼玉県内の分譲団地を買いました。そして2人ともそこに亡くなるまで住んでいたので、お墓は霊園を購入するしか道がありませんでした。
今なら必ずしもお墓を買わなくても、他に方法がありますが、父の病気が発覚した平成10年代、実家の周りの家でもみなお墓を購入していたように思います。
一番近いはずが…
母はいろいろと悩んだようですが、実家から一番近いお墓を選んだそうです。それでも実家からお墓まではバス・電車・タクシーを乗り継いで行かなくてはならなかったし、我が家からも車で30分以上はかかります。
母も父が亡くなってすぐの頃は、自力で頻繁にお参りに行っていたようですが、すぐに自分で行くのはしんどくなってしまいました。最初は私たち夫婦が車に乗せて墓に連れて行っていましたが、それすらも母には負担になり、代理で私が墓参りをしていました。
その後母も亡くなり、墓は弟が引き継ぎましたが、弟は50代で結婚して、住まいが墓からは離れてしまいました。墓はとても小さく、骨壷は3つしか入らないと母は言っていました(母は弟はもう結婚しないだろうから、それでちょうど良いと思っていたのでしょう)。ですが、現在結婚している弟は、あと1つしか骨壷が入らない墓では困るのではないでしょうか。
後は誰が面倒を見るのか
普通に考えると、実家の墓は継ぐ人がいなくなります。関係者は私の娘たちということになりますが、現在の我が家の墓のことだけで精一杯ではないかと思います。
今の自分が1度に2箇所もお墓を巡ってお参りするのは疲れるな~、と思っているのです。私の実家の墓は娘たちにとっては祖父母の墓というだけの存在です。親の墓だけならともかく、別の場所にある祖父母の墓まで面倒を見ろというのは少々酷ではないかと私には思えるのです。
そろそろ、私は死んだら墓に入るという考えを改めるときに来ているのではないかと思っています。墓がなくても、現在はいろいろな方法で、亡くなった人を供養できるのです。
やっぱり樹木葬は良いと思う
私はこのブログにもたびたび樹木葬を記事にしています。
亡くなった人に手を合わせるのは、自分の心の平安のためでもあります。だから、お墓という存在そのものを私は否定しません。
樹木葬は墓石はなく、骨壷を埋めた場所に樹を植えます。骨壷は土の中で分解する素材でできており、いずれ遺骨は土に還ります。土に還るまでの間は、手を合わせ亡くなった人の冥福を祈ることができます。そしていずれは土に還るのですから、後を誰かに引き継いでもらわなくてはいけないという心配はありません。
合祀という方法だと、どうしても他の人と遺骨が一緒にされてしまうと感じ、寂しくなる人がいるのではないでしょうか。しかし、土に還るのなら、それは昔からの自然の成り行きです。かえって、この世界全体がお墓であるように思えるのかもしれません。
お墓に関する常識も変わるはず
そもそも一家が同じ墓に入るようになったのは、江戸時代になってからのことだそうです。お墓に関することも時代によって変わっているのです。それならこれから新しい伝統ができても良いのではないでしょうか。
一番良いのは、相手が生きているときに精一杯向かい合うことだと私は思います。そうすれば、亡くなった後にお墓であれこれ泣き言を言わなくても済みます。少なくとも実家の墓で私が思うことは何一つありません。
今までのような墓はなくても良いのではないか、その思いが日毎に強くなるだけです。墓じまいをする人が増えるのも当然だと思います。もし生きている人の負担になるのなら、墓がなくなるのも仕方がありません。誰も子どもや孫にお墓で迷惑をかけようとは思っていないのですから。
※決して私は樹木葬の関係者ではありません。あくまでも個人の感想に基づいてこの記事を書きました。