大好きだったブログのその後

ブログ好き

私が大好きだったのに、今年(2019年)の4月から更新が止まってしまったブログ・60歳までに断捨離について、またお伝えしたいと思います。

コメントを送って安否を確かめたいけど…

このブログにも、更新が止まってしまって心配だし、寂しいという記事を書きました。その後、何回も見に行ってみましたが、やはり更新は止まったままです。最初のうちは引っ越しをしたから忙しいのかな、と思っていました(ブログを書いていたみどりこさん(推定年齢60歳)は、家庭の事情で引っ越しをしたのです)。

もう、12月になるので、何かあったのかと心配なので、コメントを送ることも考えました。
でも、コメントを送るって、意外に勇気が要りますよね?これは、私だけでしょうか。いろいろとブログを読むのに、コメントを送った相手は今のところ1人だけです。こちらは楽しくブログを読んでいるので、相手のこともよく知っている気になっていますが、ブログを書いている人は、私のことなど知らないわけです。

こんな文章を送って変に思われないかなと考えあぐねて、せっかく書いたコメントを全部消去したこともあります (同じ理由で私はファンレターもラブレターも書いたことがありません) 。別に大好きなブログを書いているご本人なので、私も失礼なことを書くことはありません。楽しく読ませてもらっているお礼を伝えたいだけですが、やはりいざとなると、考えてしまうのです。私は、不特定多数の人が読む可能性のあるブログを書くのは、全然平気なのに、個人が相手になるととたんに緊張してしまうのです。

相手が個人になると、どう思われるかが気になってしまうのは、不思議なものですね。それにブログの更新ができない人に対して「どうしたんですか?心配しています。早く、ブログを更新してね」などとコメントを送るのは、あまりに無遠慮な気もします。相手にしてみれば、「わかっているけど、できないんだよ!」と思うだけでしょう。

縁があれば、またブログが読めるかも

それにブログによって、すぐにコメントが送れないようになっているものもあります。
私はいつも楽しく読んでいる、全然丁寧じゃない暮らしにコメントを送りたいと思ったとき、どうしてもできませんでした。どうやらはてなブログは自分も登録しないと、コメントを送ることができないようです(コメントを書いている人がすべて、IDナンバーを持っていたので、そう思いました)。
余計にコメントを送ることへのハードルが高くなりますね。

だから、更新が止まったブログは、なぜ止まったのかも不明なまま、確かめることもしていません。寂しいけれど、このまま待っているしかないようです。実際にお付き合いでも、なぜか連絡がとれなくなってしまう人がたまにいます。どうしているかな~、と思っても確かめる術もなく、ただ待つしかないということが、少ないけれど私にはあります。でも、縁があればいつかまたつながりを持てる日が来るのではないか、と私は思うようにしています。

ブログもそれと同じかもしれません。いくら大好きだったブログでも、もう読めないのならそれは私にとっては縁のないブログだったのでしょう。

やっぱり心配

それに自分でもブログを始めてみてわかりましたが、定期的に記事を更新するのは、時間と心に余裕がないと難しいです。 自分が若い母親だったときは、子どもさえ成長すれば、すべての悩みは解消して、心に余裕のある生活を送れると信じていましたが、なかなかそうは行かないです。自分の体のことや夫婦の関係、子どもの進路など、年齢とともに悩みが増えている気がするほどです。

今、みどりこさんは心の余裕を失っているのでしょうか。やはりみどりこさんのことが案じられます。いつかはこのブログが回り回って、みどりこさんの目に止まり、私の気持ちが伝わるとよいな、などと考えています。

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