決まり文句が使えない

ブログ好き

ブログを書くときには、決り文句があるとよいみたいです。私の場合なら、「どうも、ゆみこねこです」などと書くわけです。誰が書いているブログなのか、いち早くわかってもらうためにも、決り文句は有効な手段です。

決まり文句が恥ずかしい

しかし、私はどうもこの決り文句が恥ずかしくて使えません。自分が読む側のときは、決り文句をすんなり受け入れています。誰が書いたブログなのかがすぐにわかることに安心感も覚えています。〇〇さんの書いたブログなんだ、と納得することで、その人の世界にすぐに入り込むことができるように思います。

でも、いざ自分のことになると、使えないのは年齢や性格が関係しているのかもしれません。現在55歳の私は、自分のことをいうときに、名前を使うのは甘えているようで、よくないと周りからいわれていました。自分のことを名前で呼ぶのは、かわいい女の子に限られていました。それ以外の普通の女子は、ちゃんと一人称を使うように育てられていました。だからそれが染み付いていて、ブログだからといって自分の名前の入った決り文句をやすやすとは使えません。

決り文句はおまじない?

もうブログを始めてから3カ月が過ぎましたが、いまだに始め方が安定しません。なんとなく始まった文章もあれば、いきなり始まってしまう文章もあります。決り文句が使えないというのは、なかなか不便なものです。

ブログは自分の立ち位置が揺らいでしまうのはよくないといわれています。いろいろな文章が集まったのがブログですが、そこに1本芯が通っていないと、読む人に散漫な印象を与えてしまうのでしょう。何回も同じ決り文句で、ブログを始めるのは、自分の立ち位置をしっかりと固めるおまじないの効果があるのかもしれませんね。

これからも、使えない?使わない?

人から指摘されたことはありませんが、私は字を書くときも、人と話をするときも、いろいろなことに左右されていると思います。字も話し方も安定せず、その時々でまるで違います。それが恥ずかしいときもあるし、嘘をついているようで後ろめたいときもあります。でも、この安定しない、グラグラ揺れているのが私自身だったらどうしましょう?

だから当分、このまま決り文句はなしでブログをやっていくことにします。長く続けていくと、何か自分の芯になるものがわかって、自分なりの決り文句ができるかもしれません。無理して今作るのはやめておきます。どうかお付き合いくださいね。

でも、実は私はレンタルサーバーの契約を1年間だけにしています。ブログを始めるときに、続けられるかどうか自信がありませんでした。何しろブログを始めた人の90%以上が最初の1カ月で挫折してしまうと、サンツォさんの「ブログの作り方」で読んだのです。確かに誰も読まないブログを続けるのは、心が折れる人も多いでしょう。その点は、まだライティングの仕事の方がましです。だって無事に納品できれば、これでよかったんだと納得できますから。

1年の間に自分のスタイルが作れるのか…果たして私に芯はあるのか?乞うご期待です。

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