このブログで私は自分のことについて、引きこもりがちだとか孤独だとか色々と書いてきました。これは他の人に比べれば、そうなのだろうなと自分で思っているだけであって、確かな根拠があるわけではありません。
しかし、週に1度程度の買い物だけが外出で、あとは外に出なくてもまったく平気な自分はやはり引きこもり気質があると思わざるを得ません。
相手の言葉に孤独を再確認
我が家ではまだお盆やお彼岸のときに、近所の親戚と行き来していますが、そんなときにもしつこいくらい、親戚のおばさんに「どこかへ出かけないの?」、「何か趣味はないの?」と尋ねられますが、返す言葉がありません。
そして私は感じるわけです。自分を見る相手の目がちょっと変わったもの、理解できないものを見る目になっていることを。もしかすると私の孤独感というのは、親戚のおばさんを始めとする世間一般の目を意識することで生まれているのかもしれません。
私はもともとそんな気質だったのに、母に友だちがいないのは人間として欠陥があるからだ、若いときは友だちと遊びに出かけるものだ、などと言われていました。子ども時代、私は母の言葉をそのまま世間一般の常識のように感じました。私は必死になって、母の言う友だちがたくさんいる良い人間のフリをしていたのです。
結婚して段々と年を取って、母も亡くなりました。私はもう、友だちがたくさんいる人のフリをしなくても良くなりました。そしてここに来てコロナが流行しだして、外出しないのが一番の予防法だと言われるようになっています。私は大手を振って家にこもることができるようになったのです。
不安があるときに人に会いたくない
大体自分が色々な不安感を抱えているとき、人と会って楽しく話をする自信は私にはありません。今の私は、相手の話に色をつけて受け取ってしまうと思います。
もし、相手が無事に子どもが就職しました、と私に言ったとします。私はきっとこう考えるはずです。
いいな~、就職するなんて。うちの娘たちはフリーターと引きこもりだもん。安心できるようになるのは、いつのことなんだろう。羨ましいけど、これって私に自慢してるの?
この場合、私は相手を羨み、自分に自慢しているのではないかと疑うだけでなく、自分の娘たちを相手の子どもよりも一段低く考えることになるわけです。相手も自分も貶めるのなら、もう最初から人と会わない方が良いと思ってしまうのです。
きっとどうしても会いたい場合は、こんなことは気にならないと思います。気になるのは、それだけの間柄なのでしょう。
こんなことを考えてしまう私ですが、これには理由があるのではないかと考えるようになりました。それは人間の幸福度を調べたアンケートがあると知ったからです。「人生のどん底は50代前半にある」
50代が孤独なのは当然?
そのアンケートでは、人間の幸福度は50代前半でどん底になるというのです。幸福度が高いのは20代前半と60代です。20代前半はまだ若く、感受性もみずみずしくて幸福を感じやすいのかもしれません。50代前半でどん底を感じるというのは、50代では様々な問題が出てくるからでしょう。
自分の健康不安はもちろん、親の介護問題が出てきたり、定年退職を控えて経済的に不安を感じる人もいるでしょう。子どもが成人する人も多いでしょうが、無事に巣立てば燃え尽きたようになってしまったり、巣立たなくても将来に不安を感じたりします(まさに我が家の状態です)。
つまり50代前半は身の回りのことがすべてストレスになりうる年代なのです。私だけが悩んでいるのでも苦しんでいるのでもなかったのです。
50代の人々がみな、このような状態を感じているとすれば、誰かとお付き合いをする余裕はなくなってしまいます。私のような考えをする人も少なくないのではないでしょうか。
ご褒美を待ちたい
50代の後には60代がやってきます。幸福度の高い毎日が待っているのです。思い切り悩み、苦しんだ後にはご褒美があるようです。私は今年57歳になりますから、もうどん底から抜け出しているのかもしれません(自覚はないですが)。
それは突然人が変わったように社交的な毎日を送るということではなく、自分のジャマをする悩みが取り除かれ、一人の時間を思い切り楽しめるようになるということかもしれません。幸せの青い鳥はすぐそばにいたのだと実感できるのかもしれません。
それまでは不安になったら、誰かのブログを見ることにします。私だけではないと思うのは、生きる上での励みになります。また、私のブログが誰かの励みになるかもしれませんから、私の孤独な生活で感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います。
にほんブログ村
よろしくお願いします。