エホバの証人で思い出す女性は明るくて話しやすい、感じの良い人でした

生活

今日はエホバの証人という宗教について、朝からテレビで報道しています。

エホバの証人というのは私の認識ではキリスト教系の宗教で、有名なのは輸血をタブーとしているところです。これを信者の子どもにも適用して、十分な治療が受けられず、過去には交通事故にあった子どもが死亡したこともありました。他にもエホバの証人では子どもをムチで叩いて信仰を強制することもあり、今回、これらが子どもに対する虐待ではないかと問題になったのです。

信者のことは悪く思えない

交通事故にあった子どもが亡くなったのは随分前の話ですが、大々的に報道され、私も『親は自分の意志で信者になったけど、子どもはそうじゃないんだから、輸血を受けさせないのは行き過ぎではないか?』と思ったものでした。

しかし、私にはエホバの証人に対してどうしても悪い印象を持てません。かつて身近にエホバの証人の信者だという女性がいたのです。その女性と私が出会ったのは手話サークルでした。今から30年以上前、接客業についていた私は仕事に役立つかもしれないと地元で手話サークルに参加したのです。

信者の女性はとても良い人だった

当時、女性はすでに結婚しており、子どももいるということでした。私はまだ独身で、既婚者とどのような話をしたら良いのかと思っていましたが、女性はとてもにこやかで話しやすい雰囲気の人でした。女性とは世間話しかしていませんでしたが、話に困ることはなく、いつしか私は彼女を見かけると積極的に話しかけるようになったのです。

参加していた手話サークルは月に1回の集まりを1年間続けると終了となります。最後の集まりの後には、懇親会が開かれたのですが、皆が乾杯をするとき、女性は普段どおりとてもにこやかに乾杯を遠慮しました。

ごめんなさい、私宗教的な理由で乾杯は遠慮させてもらってるんです。

そこで私は初めて女性がエホバの証人の信者であることを知りました。しかし、私の彼女への印象は変わりませんでした。今回、私は初めてエホバの証人では子どもをムチで叩いて信仰を強制するということを知りましたが、彼女のことを思い出す限り、どうしても彼女が自分の子どもをムチで叩くとは思えません。また、ムチで叩くことを愛情の証だと彼女が考えるとも思えません。

教義の解釈が間違っているのでは?

エホバの証人はキリスト教系の宗教です。聖書の教えをもとに存在しているわけですが、その聖書の解釈の仕方に問題があるとは考えられないでしょうか。輸血をしてはいけないというのも、神様が下さった命を人間が操作してはいけない、という意味があったのに、輸血を拒否することだけが一人歩きをしてしまったと考えられるかもしれません。ムチで子どもを叩くことも、教えを曲解してしまった結果かもしれない、と私は思うのです。

宗教としてこの世に存在するなら、世間一般の人々にも受け入れられる宗教であることが大切です。そうでなければ、人々から警戒され疎んじられて、オウム真理教のように大きな摩擦が生じるか、廃れていくしか道はありません。

どうかもう一度、教義の解釈を見直して欲しいと思います。両親が信者であった宗教2世という、宗教に近い存在から虐待だったと告発されることなど、もう2度とないように願っています。そして、あの手話サークルの女性(今は多分60代半ばだと思います)と子どもが幸せな人生を歩んでいることを強く願っています。

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