風呂に入れ

家族

ここ数日長女のことが気になっていましたが、次女もずっと引きこもっていて、その折々でいろいろと気になるところがあります。もちろん、学校にも職場にもどこにも属さずに、家にだけずっといるという生き方が毎日気になっているわけですが、もっと細々としたことが気になるのです。

私も次女も常に家にいるからかもしれませんが、最近最も気になっているのは、次女が風呂に入らないことです。もともと私は毎日風呂に入って清潔にするべきだとは思っていません。現代人は風呂に入りすぎだという母の意見にも反対しませんでした(こんな記事を以前書いています「亡くなった母の思い出・現代人は風呂に入りすぎ」)。

風呂に入らない言い分とは

次女の言い分だと、本当に精神に病を抱えている人は何に対しても意欲が出ないため、風呂に入ろうという気持ちもなくなるのだと言うことです。家族に何回も風呂に入れと言われて、風呂場まで行っても、どうしても身体を洗う気持ちになれずに、洗い場に寝転んでしまう人までいるそうです。

次女は現在24歳ですが、最近、軽く1週間は風呂に入りません。そのため、髪の毛は脂ぎって、フケが浮いていることも度々あります。側にいると臭うこともあります。

小さな子どもなら怒って風呂場まで引っ張り、無理に洗うこともできるでしょう。しかし、24歳で私より大きな身体の次女に実力行使は無理だとわかりきっています。私がうるさく言うことは、家の中の雰囲気を険悪にするだけだと思って、敢えて次女には何も言いませんでした。

とうとう昨夜は夫が耐えかねて次女にこう言いました。

すごいフケだね。もういい加減にお風呂に入りなよ。

普段はお風呂のことにはうるさく言わない夫が言ったので(自分も肉体労働なのに、風呂に入らずに寝てしまうことがよくあるのです)、さすがに次女もまずいと思ったのか、その後に急いでお風呂に入っていました。

引きこもりに問題を感じるけど

今朝の新聞には、20年間引きこもっていた息子が立ち直るのを信じて、家を売ってお金を作り、専門施設と称するところに入所させたお母さんの記事が載っていました。しかし、信用できる施設ではなかったようで、結局放り出された息子は仕事も続かず、最後はアパートの部屋で1人亡くなっていたそうです。

お母さんは夫も亡くなり、このまま引きこもりが続いたら、自分が亡くなった後、息子はどうなるのかと不安でいたたまれなくなってしまったのでしょう。そんなときに、すでに結婚して家を出ている娘がその施設を見つけてきてくれたそうです。

私たち夫婦にも同じような不安があります。自分たちが死んだ後、次女は生活する術がないでしょう。そうしたら、一体誰の手をわずらわせることになるのか、これは大きな不安です。

しかし、次女に言わせるとそれは次女の問題で、私たちが考えても仕方がないことだそうです。人の問題を代わりに考えて解決することはできません。だって、私たちは次女ではありませんから。私たちは自分の不安と人の不安を混同して、勝手に不安がっているだけだそうです。

確かに一理あるな、とは思います。人の不安と自分の不安は切り離せ、というのはアドラー心理学のようにも感じられます。次女はアドラー心理学など、見たことも聞いたこともないでしょう。必要があれば人は勝手に真理に到達するのかもしれません。

将来よりも今

確かに次女は毎日自室の中で深く考えて、成長もしているようです。それは大変喜ばしいと思っています。しかし、そんな偉そうな事を言うなら、まず風呂に入れと思ってしまうのが今の私です。先のことは確かに心配です。しかし、それよりもまず今が大切です。

今、次女には風呂に入って気持ちよさを感じ、心をくつろがせて欲しい。そして自分の臭いやかゆみを気にしないで生活して欲しいと思います。臭いやかゆみが気になるようでは、さらに外に出ていかれないでしょう(下手したら、買い物にも行けなくなるかもしれません)。

気にするべき問題は山積みになっているのに(やはり次女には援助を受けながらでも良いから、自立して生活できるようになって欲しいです)、まず風呂が気になるというのは、私も母親としてまだまだという証拠でしょうか。

それとも娘は不安で風呂に入れないのでしょうか。よく野生動物は自分の臭いを周りにつけて安心すると言います。娘はそれと同じことをしているのでしょうか。

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