五十肩のその後

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毎日肩が痛いと文句ばかりいっていないで、ちゃんと医者に行きました。
どうせ治らないし、などという態度はいくら中年でもよくないと思ったのです。

五十肩になった日

もう半年あまり前のある日の夜、布団に入って横になった途端に、肩からバキッという音がしたな、と思ったら肩が動かなくなりました。動かそうとすると痛みが出ました。ひどいときは車の運転をするのも痛かったです。

医者に行ってみて、診察を受けて、レントゲンを何枚も撮って、診断はやはり五十肩でした。
それもそんなにひどいものではないようで、医師は五十肩のようなもの、といういい方をしていました。

診察を受けた当日は肩に注射をされました。ヒアルロン酸と痛み止めだということでしたが、注射をしてすぐに肩の動きがスムーズになったのには驚きました。飲み薬、塗り薬、湿布も処方されました。飲み薬は鎮痛剤・ロキソプロフェンNa錠と筋肉の緊張を取り、こりや痛みを和らげるエペリゾン塩酸塩錠です。

医者には行ったけど…

薬を飲んだり塗ったりで忙しくなりましたが、1カ月近くたった今、状況はあまり変わっていません。肩の可動域がとても狭くなってしまい、不便な毎日を送っています。薬を塗ることすら、あまりできていません。料理の前に塗る気にならないし、料理の後は何かと忙しくて忘れてしまいます。飲み薬はたったの1週間分しかもらっていなかったのに、花粉症がひどくなって、別の薬を服用しなくてはならなくなって、やめてしまいました。

温熱療法のためにしばらく通院するとよいといわれて、1回は行きましたが、その後が続きませんでした。せめて自分で肩を動かすように心がけていますが、これがよいのか悪いのか、よくわかりません。

腕を上にあげると痛いのですが(腕を耳の横にまっすぐに上げられません)、少し痛いと思うことを我慢してやるようにしています。
腕を後ろ方向にも行かなくなっているので、頑張って後ろに持ち上げるようにしています。
放っておくと固まってしまいそうで、怖いのです。
でも、人間は自分から痛いとわかっていることに、取り組むことはなかなかできないということがよくわかりました。

五十肩がきっかけで思い出したこと

私の父は49歳のときに脳溢血でたおれて、右半身麻痺となりましたが、リハビリは痛いといって嫌がり、熱心に取り組もうとはしませんでした。リハビリを担当する理学療法士からは、ずいぶんと家族のためだから、と説得されていました。

当時中学生だった私は、生活の不安もあり、父のことをひどい人だとかだらしがないなどと思っていましたが、今にして思えば無理もありません。五十肩でこんなに痛いのだから脳溢血の後遺症などは想像もつきません。

五十肩になったことで、今は亡き父のことを思いやることができましたから、人生にムダはないのだと思うようにします。

五十肩を諦めたくない

私は諦めずに、毎日肩を動かし続けて、背中が痒いときは、自分でかけるようになりたい、自分の手で背中を全部洗いたい、と考えています。五十肩は1年位で治まるそうですが、痛みだけが治まっても、可動域が狭くなったままでは、あまりうれしくありません。

五十肩は小さなことかもしれませんが、夜寝返りをうつときに痛みで目覚めたり、洗濯物を干したり、拭き掃除をするときも痛くて、生活の質は下がると思います。医者に行って診断を受ければ、少なくとも変な病気ではないことがわかって、痛くても安心して肩を動かすことができます。

ヒアルロン酸注射も少しの間は自分を楽にしてくれます。肩の痛みが減ると、夜安心して眠れるようになりますから、ありがたいです。

ただし、急性期(ものすごく痛みがあるとき)には、無理をして動かさない方がよいそうです。私はすでに急性期は過ぎているはずですが、それでも不意に肩を動かそうとすると、痛みで声が出ないときもあります。

50代には勇気が必要!

昔から目が悪くて、肩こりだった私には、仕方のないことかもしれませんが、何とか五十肩を乗り切りたいと思っています。夫は膝が痛いというし、50代からはいよいよ悪いところが増えていくのだと思うと、立ち向かうのには勇気が要ります。年金もあてにならないし…
子どもくらいは早く独立してくれないと、本当に後が続かない、と思う今日この頃です。

でも、本日、ほんの少し腕が上に上げられるようになった気がします。少し希望が見えてきました。

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