私が最近、愛読しているブログにNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の1シーンについて書いてありました(記事はこちら「何をしても褒めてくれる母じゃ」)。
振り返ると反省が多いのが子育て
それは織田信長が子どものころから何をしても褒められたことがなかったと、寂しさとともに語るシーンです。これを見たかぼぴさんは、自分の子育てを振り返っていました。長男(すでに結婚なさっているそうです)を育てるとき、自分は励ますつもりだったけれど、結果として叱った方が多かったのかもしれないと、ブログに心の内側を見せていました。
叱るよりも褒めて育てた方が良さそうだと、子どもを育てた経験のある人や、今子育て中の人は思いますよね。私も自分自身があまり褒められた経験がなかったので、子どもたちはたくさん褒めようと思っていました。
実際に子どもを育ててみると、意外に褒めるのは難しかったです。今思うと私のは褒めるのではなく、ただの感想でした。子どもの絵を見て、上手にかけたね、とか新しい服を着ているのを見て、かわいいね、などと言うことが多かったので。
考えなしに褒めていたら、言われたこと
でも、自分の子どもに対して、上手だとかかわいいなどは言っても良い言葉だと思っていました(けなしたり貶めたりするより、ずっと良いと思っていました)。だから自分の思うがままに言っていましたが、あるときから小学生になっていた娘たちにこう言われるようになったのです。
ママに褒められると、すごく気分が良いんだ!だから、もっともっと褒めて~。
もっと褒めるところを見つけて、積極的に褒めて欲しいとまで言われて、私は考えてしまいました。何だか強制されているみたいだ、褒めろと言われたら褒めたくなくなる、というのが正直な気持ちです。結局私は正直な気持ちを娘たちに伝えました。そして私が褒めたいときだけ、褒めるから、とも言い添えるのも忘れませんでした。
私が褒めたために
結局、私が考えなしに褒めたので、かえって娘たちを不安にしてしまったのでしょう。同じように絵を書いても褒められるときもあれば、軽くふーん、で終わってしまうときもあるのでは、確かに不安が出てくるかもしれません。娘たちにしてみれば、(褒められない)今回の絵はどこかがまずかったのかな、と考えてしまうはずです。
私が褒めることで他にも娘たちに影響があったようです。娘たちにとっては、絵を書くのは自分が楽しいからやっていることです。学校の勉強は自分のためになるからやるわけです。でも娘たちの行動は、私に褒められるためのものに変わってしまったように見えました。それでは、本当に身につくものはなくなってしまいます。
だから、私は今でも娘たちに自分が褒めたいときに褒める、と言ったのは良かったと思っています。
いつかわかるときが来るのか?
褒めるという行動は良いことだと思いがちです。でも、子どもたちを気分良くできる褒めるという行動こそ、親としては気をつけるべきかもしれません。子どもを叱るのは難しいですが、褒めるのも同じくらい難しいことです。
かぼぴさんの息子さんも、きっと自分が親になったら、少しは気持ちをわかってくれるはずです。もし息子さんがわからなくても、お嫁さんがわかってくれるでしょう。
我が家の娘たちもいつかは私の気持ちをわかってくれると良いですが、親にならない場合は、わかってもらえないかも…と残念な気持ちです。