我が家の敷地内に地域のゴミ捨て場があります。もう20年近く前に、ゴミ捨て場を設置したいので、よろしくと自治会の役員の人たちに言われてしまいました。最初は何となく嫌でしたが、実際は不法投棄もなく、みなルールに則って使ってくれるので、私が嫌な思いをしたことはありません。
ゴミ捨て場の柿の木が問題
それよりもゴミ捨て場に面して柿の木が植えられており、その葉や実が落ちるのが気になります。葉は邪魔なだけですが、実の方は放っておくとドンドン腐って悪臭を放つようになるのが困ります。
そろそろ葉もすべて落ちきった頃なので、今日は片付けをしました。葉を集めていると、紅葉した葉がほとんどなく、茶色く枯れたものばかりでした。
柿の葉は例年、キレイに赤くなっているのを見かけます。厚みもあるので、料理人をしている人がわざわざ柿の葉をもらいにくる程なのです。それが汚く枯れているのは、何か異常を感じさせました。
また、実も枝についているのは未だに青い実ばかりで、少しでも色づくと落下してしまいます。この分では、今年は食べられる実はならないのではないかと思いました。こうしたことは異常気象のせいだとか、不吉なことの前触れのように感じられる人もいるのではないでしょうか。
実をつけないのも、自然のサイクルのうちかも
しかし、落ち着いてよく考えてみると、柿の木が実をつけないことは数年に1度はあります。前年に枝をおろさないでいて、たくさんの実をつけすぎると次の年にはお休み、ということがあるようです。
他に地域全体で柿の木が実をつけていないこともあります。車で別の地域に行くと、そこではたわわに実っており、ああ、我が家の地域は今年休みなんだな、と思うのです。
毎年秋になれば実をつけるというのは、人間の目線でのサイクルで、実は休みを含めてのサイクルが柿の木にとっての本当のサイクルなのかもしれません。
自然界のことを人間はわかっていないのかも
つい、私たちは例年と違うことが起きると異常だ、不吉だと騒ぎたくなりますが、長い目で見るとその異常な事態を含めたサイクルがあるのではないでしょうか。
もしかすると、コロナのような感染症が蔓延することも、大きなサイクルの中に組み込まれているのかもしれません。
ただ、嵐の中にいるときは、自分のことを俯瞰で見るのは難しいです。そんなことができるのは、神様だけかもしれません。だから、慌てずに対処をするために、過去の記録を残しておくことが重要になるのでしょう。
でも、長い目で見れば違うことが見えるのだと知っているだけでも、気持ちは変わってくるような気がします。