娘たちを見ていて感じたこと・友だちについて

家族

もう何度もこのブログに書いていますが、私には28歳と24歳の娘たちがいます。顔も性格もまったく似ていない2人ですが、特に友だち関係を見ていると違いすぎて興味深く思います。

長女も次女も初対面の人に打ち解けられないという点では似通っていますが、長女は慣れてくると人懐こく、高校時代、専門学校時代を通じて少数ではあっても、仲の良い友人を作り、今でも付き合いが続いています。

次女は友だちを作ろうとしなかった

それに比べて次女は小学校の高学年になる頃には、放課後に友だちと遊ぶということがなくなってしまいました。私は中学生くらいは、一番友だちと遊ぶことが大切な年代だと思っていましたが、次女にはそれがまったくありませんでした。

次女は自分の見たい映画があると、友だちを誘うのではなく、私に一緒に行こうと誘いをかけてきました。同級生と行ったらどうかと言うと、こう答えたのです。

友だちはこの映画を見たいかどうかわからないよ。
無理して付き合ってもらうのも申し訳ないから、私は同級生とは映画に行きたくないんだ。

次女はお付き合いのために、自分がそれほど見たくない映画や興味のない買い物をするのも絶対に嫌だと言っていました。私の母なら、そんなことを言うなと怒ったかもしれません(私はかつて母に、お前は嫌われているから友だちがいないんだろう、と言われたことがあります。それで私は無理にでも友だちを作って、自分が嫌われ者ではないと証明したかったのです)。

私はいつか、この友だちが勧めるなら、映画を見に行こうかな、一緒に買物に行ってみようかなと思える日が来るのではないかと思い、次女にそのことであまり意見を言うことはありませんでした。行ってみれば楽しいかもしれないよ、とは言いましたが、その程度の言葉では次女の気持ちは何も動きませんでした。

ただ、次女は通学を嫌がらず、欠席することもほとんどなかったので、私は軽く考えていたのかもしれません。長女は仲良しの友だちができるとともに、トラブルもあったので(女の子同士のいろいろあるやつです)、それがないだけ良いかもしれないと思っていたほどでした。

いてもいなくても大丈夫

今、長女は漫画家をしながら、それだけでは食べられないため、アルバイトもしています。時折ひどい不眠に陥って医者にいったら、ASD(アスペルガー症候群)だと診断されました。次女も精神的に何か不調があるのでしょう。もう4年ほど引きこもっています。

どちらの生き方も器用にうまくいっているわけではありません。でも、どちらも自分なりに頑張っているのだなということは感じます。この2人を見ていて思うのは、友だちはいれば楽しいと思いますが、いなくても生きていけるということです。

長女が友だちと楽しそうに付き合っているのを見ると、私はとても嬉しいです。しかし、友だちがいない次女のことも、やはり娘として大切な存在であることに変わりはありません。

私は娘たちを育てて、初めて母からかけられた友だちの呪いが解けたような気がしています(今思うと、いつも家にばかりいる私のことが母は不甲斐なかったのでしょう。私も子どもにはみんなと仲良くやって欲しい、誰からも好かれて欲しいと思っていたので、少しは気持ちがわかるようになりました)。今は友だちがいない自分を認めてあげても良いような気がしているのです。

いろんな友だちがいても良い

友だちについても、考えが変わりました。今まで私が考えていたような、濃い付き合いの友だちでなくても良いと思うようになりました。

よく長女がクラス替えをする度に、一言でもしゃべったら友だちだよ、と言っていたのを思い出します。当時は呆れて、そんなの友だちじゃないでしょ、などと言っていましたが、私も今はちょっとしゃべって、笑いあえたらそれで友だち、で良いような気がします。

心が通じ合うとか、悩みを何でも話せるとか、それは家族や専門のカウンセラーでも難しいことです。それを自分と年の変わらない相手に求めるのは酷というものかもしれません。

それよりもいつも感じよく挨拶してくれるあの人が友だち、道端でついしゃべってしまうあの人も友だちと思っていたら、小さな出会いを大切にすることにつながるような気がします。私にはそれで十分だし、精一杯なのではないかと思っています。多分、人との付き合いにも得手不得手があるのです。

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