星月夜さんという女性のブログを昨日の夜見つけて読みました。この方のアイコンにしている月の絵の画像に惹かれたため、どんなブログなのか読んでみたくなったのです。そしてブログの中の記事に、祈りについて書いてあり、それにとても心を動かされました。
私に足りなかったもの
嫌いな相手、嫌な相手がいても、その人の幸せを願って祈り続けることで、人間には多幸感をもたらすホルモンが分泌されるそうです。嫌いな相手の幸せを祈ることで、自分の気持が穏やかになり、それが周りを変えていくため、結果的に幸せになれると言うのです。星月夜さんは脳科学者の中野信子さんの著書から、祈りの大切さを紹介してくれました。
今の私は夫の弟、娘たちのことを私の生活を脅かす人たちとして考えているような気がします。早く何とかしないと、私の老後の生活が危ういという焦りが大きくて、本当に弟や娘たちのことを考えていなかったような気がしました。
だから、別に彼らのことを嫌いではないけれど、今の私は弟や娘たちの幸せを考えて祈らなくてはならない、と思ったのです。私が変われば、何かが変わるかもしれません。今まで弟のことや娘たちのことは、自分にできることを精一杯やって来たつもりでしたが、私が変わっていないからか、事態は何も変わりませんでした。
祈りたいと思って、夜眠りにつく前に実行しました。
人のために祈れなかった
ところがいざ祈ろうとすると、どうすれば良いのかわからなくなってしまいました。人のためにどうやって祈れば良いのかがわかりませんでした。〇〇が幸せになりますように、と思えば良いのか、それとも〇〇を幸せにしてあげてくださいとお願いすれば良いのか、と考えているうちに、どんどんわけが分からなくなってしまいました。
そのうちに弟や娘たちの幸せを願って祈っているというのは、ごまかしだと感じられてきました。私は彼らが幸せに暮らしているのを見届けて、自分がしがらみから解放されたいだけではないかと思えてきたのです。何をどう願っても祈っても、結局その後に小さくそれで私が幸せになれるのだから、と考えている自分がいました。
そんな自分を再確認しているうちに、終いには眠れなくなってしまいました。今晩はどうしようかな、と思っています。もう1回祈ることにトライしてみようか、でもまた自分を見つめるのはちょっと…と気持ちは揺れています。