かつて誰かとコミュニケーションを取りたいとき、主婦だとすぐにランチしよう、となりました。久しぶりに会う人、PTAの役員で一緒に苦労した人、近所の人とも気分を変えるためにランチに行くことがありました。
私は外食が得意でない
しかし、私は外食があまり得意ではないため(胃もたれしやすくて、ひどいときは夕食がまったく食べられなくなります)、ランチに行くときは覚悟が必要でした。私の場合は、もう子どもが成人していますから、ランチに誘われることもありません。
寂しいかな、と考えていましたが、これが意外に気楽です。どうしてもランチを食べていると、相手に気を使って、お腹が苦しいのは隠しておきたいと考えてしまいます。そして楽しそうに、美味しそうに食べることを自分に課してしまうのです。
さらに食べながら話すというのが、私には結構難しいです。口の中が見えてはいけないと気を使うし、かと言って長い時間無言で食べ続けるのも相手に悪いような気がします。あれこれ考えながら食べていると、しまいには疲れてしまうのです。
実はホッとしている
特別な趣味があれば、それで人とつながることができるのかもしれません。趣味がない人でも参加できる外食(飲みに行くのも含めて)は、良いコミュニケーションの機会なのだと思います。
しかし今、コロナの流行のせいで、コミュニケーションの道具としての外食はかなり減ったのではないでしょうか。外食産業に携わる人にとっては、大変なことだと思いますが、私はちょっとホッとしています。
今まではランチに誘われると、断る理由もありませんでした。私には趣味もないので、ランチがコミュニケーションの場だったのです。そして出かけて、疲れてしまうという繰り返しでした(ときには2~3日、胃の調子が悪いこともありました)。
今なら、外食に行かないのはコロナのせいだという大義名分があります。私は変わり者ではなく、用心深い人ということになるので、心が穏やかでいられます。
この先コミュニケーションが変わるかも
こんなに急速に外食がしにくい世の中になるとは、今まで自分がコミュニケーションだと思っていたことは、一体何だったのでしょうか。
もしかして、久しぶりに誰かとランチをしたら、胃もたれのことなど気にならないくらい楽しいのかもしれません。
確かめてみたいような気もしますが、それはまだ先のことになりそうです。それに飲食以外にもコミュニケーションが取れる方法を、これから私たちは発見するかもしれません。
いくら、コミュニケーションが取りたくても、マスク会食はちょっと…と私は思います。それなら別の方法を、と私は思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。それにしても同じ釜の飯を食うなどと言う言葉も廃れてしまうのでしょうか。
にほんブログ村
よろしくお願いします。