夫の叔母が毎年乾麺の蕎麦を1箱くれます。1箱に小分けになった200gの蕎麦が多分20~30ほど入っています。これが我が家ではなかなか食べきれません。大晦日には毎年年越し蕎麦を食べますから、蕎麦が嫌いなわけではないです。
しかし、普段食べるとなると夫と次女は圧倒的にうどんが好きです。長女はそうめんが好きです。私は別になんでも構いませんから、みんなが食べるものに合わせることになります。すると蕎麦の出番はかなり減ってしまうのです。単純に蕎麦の量が多いのも、消費しきれない原因の1つだとは思いますが…
人には差し上げられない
母が生きていた頃は、母にもらってもらおうとしましたが、母は乾麺は面倒くさいと言います。確かに冷凍のうどんなら、つゆに直接麺を入れて煮込みうどんにできますし、レンジで加熱して食べることもできます。乾麺は湯を大量に沸かし、麺を茹でて水で洗うという手間がかかります。
同じように考える人は結構いるようです。何回か申し出を断られて、乾麺を人に差し上げるのは諦めました。快く受け取ってくれる人もいましたが、後で気を使ってお返しを持ってきたりするため、面倒になってしまったのです。それに、いただきものを減らしたい、処分したいと思うから人に差し上げるのに、結局別のいただきものが来るのでは本末転倒のように思われました。
それでどうにからならないものかと自分で調べた結果、乾麺(別に乾麺でなくても構わないのですが)を寄付しようと思いついたのです。不用な食べ物を必要な人に届けるフードバンクという組織があります。アメリカでは1960年代に始まっていますが、日本では2000年代に入って次々と設立されています。「セカンドハーベスト・ジャパン」は日本で最初にできたフードバンクだそうです。
このセカンドハーベスト・ジャパンでは一般の人も食品を宅配便で寄付することができます。消費期限があまりに迫ったものはダメなど、ある程度の条件がありますが、乾麺ならほとんどの場合大丈夫だし、何よりも知り合いにもらってもらうときのように気を使う必要がないのがありがたかったです。
虚しい気分になってしまった
数年前にも2回ほど蕎麦を送りましたが、今回も年内にと思い、昨日送ってきました。しかし、このときの送料が1,000円以上かかりました(基本的に寄付するものの送料は自分持ちです)。不用なものが誰かの役に立ち、蕎麦もムダにしなくて済むのですから、1,000円くらいなんだ!とも思いますが、何だか無駄遣いしているような気持ちになりました。
蕎麦のために1,000円払って処分をしている自分。それなのにいただいたときにはお礼を言う自分。もう、結構ですからと言っても聞き入れてもらえない状況(前に1度言ったら気分を害してしまったようです)。こういうことが1度に押し寄せて、なんとも虚しい気分になったのです。
そもそも最初から贈答品のやり取りをしなければ、私も余計な手間と費用をかけずに済みます。気持ちだけいただいておけば良いとも考えられますが、気持ちは目に見えないからこそ、人はものを贈るのでしょう。だから、ものを捨てるとき、気持ちも一緒に捨てているのです。人からいただいたものを捨てにくいのはそのせいだと思います。
そして、いただきものが食べ物の場合、さらに後ろめたい気持ちになります。以前、消費期限が切れてしまった蕎麦を捨てたことがありますが、とても嫌な気持ちになりました。夫も娘たちもそんなことは知りません。私だけが嫌な気持ちになっている、と怒りさえ湧いてきたのです。
私は蕎麦をいただいたら、これから先も高い確率で寄付をすると思います。そして叔母には「ありがとう」というでしょう。しかし、私自身はこれから先、誰かに食べ物をあげることはないような気がしています。本当に誰かに何かを差し上げるって、難しいです。うまくできるようになる自信は私にはありません。