今朝新聞を読んでいたら、1つの投書に対してさまざまな意見が寄せられてるのを見つけました。それは投稿者(40代女性)の息子さんが、いろいろなストレスが相まって、「コロナはただの風邪」、「マスクなんて意味がない」などの言葉をぶつけてくるという悩みが書いてあるものでした。
投稿者は、息子さんが偏った情報にしか目を向けていないと心配しているようでしたが、それに対して情報源はいくつか持っていたほうが良い、そしてその中から取捨選択をすべきだという意見が寄せられていました。
情報源よりも自分はどうしたいのかを大切に
確かにそれは間違ってはいませんが、それだと結局最後には自分が選ぶわけです。自分で間違った方を選ばないとは限りません。私は正しい情報を選ぶことよりも、自分がどうしたいのかを考える方が大切ではないかと思います。
コロナがただの風邪だと判断するのは構いません。でも、私はただの風邪でも、それを自らお年寄りや小さな子どもにうつしたいとは思いません。ただの風邪でも大事になってしまう人は世の中にたくさんいると思います。お年寄りや子どもは見た目でそれとわかりますが、持病を持っていたり、妊娠したばかりの人は見た目では判断できません。
自分がたまたま出かけた先でそうした人はいないという保証はないのです。だから、私なら、人混みに行くときはマスクを着けようと思います。それが自分にとって安心だからです。マスクには人のためというよりも、まず自分が安心できるという意味があるのです。
自分がどうしたいのかを基準にするとやりやすい
私は自分の娘が幼かった頃、風邪を引いて咳が出ていると、迷わず幼稚園を休ませていました(これは程度によりますが…)。本人は咳が出ても行けるよ、と言っていましたが、それで誰かに感染させると、クラス全体に風邪が広がってしまうと考えたのです。
また、咳というのは絶えず聞いていると、心が不安定になるような気がします。私は咳を聞いていると気になってたまりません。咳が出ているときは家で静かにしているのが良いと思っていました。
これも人により考えはさまざまです。せっかく高いお金を払って幼稚園に通わせているんだから、休ませると損だと言っている人もいました。咳が出ているときは安静にする、熱が出ていなけれは気にせずに普段の生活をする、これはどちらも間違いではないでしょう。だから、自分はどうしたいのかが大切になるのだと思います。
意見の違う人とも歩み寄る
ただ、自分ではマスクには意味がないからしない、と決めると、マスクをしている人たちが不安になる恐れがあります。そして不安だから、「マスクをしてください」と注意をしてくるかもしれません。そのときに、自分はどう対応するのか、前もって考えておいた方が良いと私は思います。
人間は自分だけで生きているわけではないので、意見が違う人とぶつかったら、何とかお互いに歩み寄って、両方がまあ我慢できるという地点を探さなければなりません。前もって考えておかないと、その場では頭に血が登ってしまう可能性もあります。それがよく聞くマスクトラブルなのでしょう。
自分がどうしたいかは伝わると思う
新聞の投書の話に戻りますが、投稿者の息子さんが「マスクなんて意味がない」などと言葉をぶつけてくるのは、それをとりあえず受け止めて欲しかったのかもしれません。
その言葉を受け止めた上で、投稿者はマスクについて話すと良かったのではないかと思います。新聞にこう書いてあったからではなく、自分が考えていること、思っていることを伝えれば、息子さんには何かが伝わったのではないでしょうか。投稿者が考えているマスクやコロナについては、ネットニュースよりも新聞記事よりも息子さんに響くと思います。
しかし、何よりも私が引っ掛かったのは、高校を卒業した息子さんがコロナへの不安をお母さんにぶつけたことです。不安は皆同じなので、甘えないで欲しいです。ぜひ、その行動を反省して、お母さんを支えられるようになって欲しいと思うのですが、それは厳しいですかねえ…
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