部屋着を着ているだけで褒められる次女は幸せ?褒めている私が幸せだと思う

家族

次女が残り少ない貯金を使って、部屋着と下着を新調しました。

ユニクロのTシャツと短パンですが、次女が夏の洋服(部屋着ですが)を買うのは久しぶりです。それまでは暑いと下着として着ているタンクトップ姿になっていたので(昔のお父さんのランニング姿を彷彿とさせました)、とてもちゃんとしているように見えました。

普通は褒めないとこ

ちゃんとした格好をして偉いね~、と言ったところ、次女はちょっと複雑な顔をしていました。「こんなことで褒められる25歳って…」と言っていましたが、冷静に考えると、まったくその通りですね。また、次女はなかなか風呂に入ろうとしません。このことは何度かブログにも書いてきたように思います。

先日、それほど日数も経っていないのに(普段は1週間とか平気で入りません)、自分から進んで(これもよく考えると当然ですね)風呂に入ったので、やはり偉いね~、と言ってしまいました。こういうことで、次女を褒められる私って、実は幸せなのかもしれないな、などと思ったら、少し笑ってしまいました。

いつも私は家に居て、そして2階には長女と次女が居ると考えると、たまにすごく嫌になるときがあります。だから、私は出かけるのが嫌いです。家を出たら最後、帰るのが嫌になってしまうような気がするのです。自分で決定的に家が嫌だと思いたくない、と思っていて、外に出られないとは、私も少々おかしいのでしょうか。

おかしいのかもしれませんが、そんな中でもクスッと笑ってしまうようなことがあるのだから、やはり幸せなのだと思うことにします。幸せって、なかなか自覚できません。なくなって初めて、ああ、あれは幸せだったんだな、と思うこともあります。

普段は当たり前のことが幸せだとわからない

私は父が倒れて、もう働けなくなったとき、初めてお父さんが元気で笑ってお酒を飲んでいる毎日は幸せだったんだな、と感じました。それまでは、自分の実家はお父さんは酒飲みで笑ってばかり、お母さんはそれを怒ってばかりで、全然良い家ではないと恥ずかしく思っていたのです。

しかし、自分ではコップも持てないようになった父を見たとき、自分は間違っていたと思いました。だから今、幸せだと思えることは私にとって素晴らしいことです。

ただ、今も人と比べなければ幸せですが、比べた途端にそれは崩れてしまいます。なぜ我が家の娘たちは、他の家の子のように自立しないのか、独立しないのか、働かないのかと考えると、やはり我が家の方が分が悪いと思わざるを得ません。私にも他の家の子と同じように成長して欲しいと望む気持ちはあるのです。

しかし、私は誰かにはなれないし、誰かも私にはなれません。比べることは何の意味も持たないでしょう。だから私は、誰かと比べないように幸せを感じながら生きていきたいと思っています。何だか負け惜しみみたいですが、良いのです。

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