コロナ騒ぎがここまで大きくなってしまった今日このごろ。今まで日本人が美徳としてきた、無理を押して通勤や通学をすることが非常識になりつつあります。
確かにコロナ以外であっても、自分のせいで誰かにつらい思いをさせるのは感心できません。
皆勤賞で自信がつく?
そこで今消滅の危機に瀕しているのが、皆勤賞。幼稚園や学校で、1度も休まなかった人に与えられる賞です。私自身は皆勤賞とは縁がありませんでした。授業日数も今よりもかなり多かったし、とにかく毎月カゼを引いていたのでそれも仕方がないと思っていました。
でも、自分の子どもたちが学校に通うようになり、一時は週休二日制になりました。これなら、ちょっと頑張れば皆勤賞に手が届くのではないかと考えました。
特に次女は何かにつけて自信がなさそうに思えたので、何か1つやり遂げたと思って欲しかったのです。勉強や運動を頑張るよりも、皆勤賞なら楽に取れると思っている人がいるかもしれませんが、私はそうではないと考えています。
皆勤賞には、健康に気をつけて、毎日同じことができることだけでなく、安全にも注意して事故に遭わないように、ケガをしないようにすることも必要です。自分の欲望に負けて、夜ふかしをして体調を崩していては、皆勤賞は取れないかもしれません。
毎日同じ体調で、同じことが続けられることは、社会人になってから最も大切なことだと思います。だから、次女の体調には気を配りましたが、中学生になっても年に1~2日休んでしまうことが続きました。
ついに皆勤賞をもらって次女は変わった?
一応それでも、私は満足していました。乳幼児のころはしょっちゅう熱を出して、医者通いに忙しかった次女が体調を崩すのは年に1~2度に減ったのですから、これで十分だと言う気がしました。
しかし、随分体力がついたね、元気になったね、と声をかけても次女の様子は相変わらずで、いつも自信がなさそうでした。その上友だち付き合いは一切なしでした。
結局、次女は高校で皆勤賞をもらうことになりました。3年間無遅刻無欠席で卒業式の日には、表彰されました。学校推薦で進学先も決まり、これからは自信を持って自分の人生を歩んで欲しいな、と思っていました。実家の母からも珍しく私に、『これで親の務めを果たしたね』とねぎらいの言葉がありました。
自分でも一段落したような気がしていたのです。
皆勤賞では何も変わらなかった
しかし、何もかも私の空回りだったのかもしれません。進学しても次女の様子は変わらず、学校と家を往復するだけ。アルバイトをするように言うと、とても嫌がりました。今思うと、他人と新たに関わるのが嫌だったのでしょう。
次第に次女は講義の内容がまったくわからない、もう行きたくないと言うようになり、ついに退学してしまいました。アルバイトも何かと理由をつけては行かなくなり、完全に自宅の中だけで過ごすようになってしまったのです(たまの買い物、通院では仕方なく出かけていきます)。
今、皆勤賞に思うことは
今では私が次女に自信を持って欲しいと願うこと自体が、何と言うか、思い上がったことだったのだと思います。次女が自分自身に何を思うかは、次女の勝手であり、自由です。
私としては自分の子どもに自信を持って欲しい、堂々としていて欲しい、楽しく人生を過ごして欲しいと思っていますが、それこそが私の勝手であり、次女には次女の思っていることがあるのでしょう。それを皆勤賞を取ることで変えようというのは、私の見当違いであり、間違いだったとよくわかりました。
これは決して皆勤賞が悪いのではなく、私の思いが間違っていたのだと思います。だから皆勤賞という言葉そのものにほろ苦い思いを感じます。
それでも私は皆勤賞がなくなりそうだと聞くと、何となく寂しい気持ちになります。皆勤賞がなくても誰も困らないと思いますが、こんな賞があったんだということは忘れたくありません。昔の自分と次女のことを忘れないためにも。
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