人間、良い方になら変わりたいと思うのでしょうか。このままではいけない、と感じているならそれは変わりたいという内側からのサインなのかもしれません。
しかし、変わるというのは、怖さも伴います。変わった先、新しくなった環境には何が待っているかわかりません。私はずっと変わらない、変わりたくないと思うのは面倒だからだと思っていましたが、実はそうではないことを母に教わりました。
母の腰痛
母が亡くなったのは今から6年前です。亡くなる1年前にやたらと腰が痛いと言うようになりましたが、79歳という年齢ではよくあることなのだと私も母自身も思い込んでいました。母は椎間板ヘルニアや脊柱菅狭窄症を抱えていたため、一度は整形外科に入院しましたが、症状はまったく改善しませんでした。
入院中に母は突然血尿が出て、血液検査でも異常があったために他の病院を受診した方が良いと勧められました。そのとき医師はまったく原因がわからない、もしかすると心因性の病気かもしれないと私と弟に説明したのです。
入院しても症状が良くならなかった母は病院で文句を言い続けました。母は病院にとってはクレイマーだったのかもしれません。そして母は半ば強制的に退院させられました。他の病院で診てもらおうと言った私に母はこう言ったのです。
大きな病院は紹介状がないと診てもらえないのよ。今の状態では診てもらえっこないわ。
明らかにおかしいのに慣れてしまう
しばらくは実家にいたいと言う母の言葉を私は受け入れてしまいました。私は母の言う通り、自宅から実家に通い、あれこれと家事や母の言いつけをこなしました。しばらくはそんな生活が続きました。私の自宅と実家は同じ市内にあり、行き来にそれほど時間がかかるわけではなかったので、そんな生活にも私は慣れました。
退院してしばらく経てば、少し具合が良くなるかもしれないという希望がありましたが、母は一向に床から起きようとはしませんでした。トイレは母の寝床のすぐ近くにありました(数歩しかない距離です)が、そのトイレに行くのさえ、やっとという有様だったのです。
やはりこれはどこかおかしい、そう思った私は再度病院に行こうと母に言いました。すると母はこれに反対しました。紹介状がないこと、身体が辛くてもう待合室で座っているのも辛いことなどをあげて、行きたくないというのです。
私は紹介状がないのはもう仕方がないから、一般外来に行こう、そこでどこが悪いのかはっきりさせようと母に言いました。病院には私が車で連れて行くこと、具合が悪いなら車の中でも、待合室のソファでも寝そべっていよう、きっと周りに一声かければ大丈夫だよと励ましました。
変わるのが怖かった?
結局長い時間がかかりましたが、母は診察を受けることができ、その日のうちに入院が決まりました。とても優しい医師が担当してくれて、母に向かって言ってくれました。
この状態では今まで辛かったですね。早く入院して少しでも楽になりましょう。
詳しい検査をしてみると、母はガンでしかも身体中に病巣があり、どこが原発巣なのかもわからない状態でした。母の腰痛はガンが原因だったのです。母はその病院に入院後、わずか1カ月で世を去りました。
母の状態は明らかにおかしかったのに、それに私も母も慣れてしまいました。しかも、それを変えようとした私の言葉に母は反対すらしたのです。母は常日頃は、わからないことをそのまま放っておくような人ではありませんでした。
わからないことは調べて、その都度解決してきたのです。でも、いざと言うときには変化が怖くなったのは間違いありません。母は病院で本当の自分の苦痛の原因がわかるのが怖かったのでしょうか。それとも、また以前の病院と同じようにクレーマー扱いをされて、自分の苦しみは解決しないのが怖かったのでしょうか。
母が最後に教えてくれた
結局、私が病院には連れていきましたが、すでに母の苦痛を取り除くことはできませんでした。最終的に、母は薬で眠らされたまま最期を迎えたのです。それでも、母はそれまで痛みのために固く縮こまった身体を伸ばして眠ることができるようになりました。それだけでも、私は母を入院させて良かったと思っていますが、これは自分本位の考えなのかもしれません。
私は実家で、私だけで母を看取ることが怖かっただけのような気もしています。でも、人は変わるのが怖いのだ、ということはよくわかりました。それが悪い状態から抜け出ようとしているとしても、変化は怖いのです。
もし、自分がこれから変わるのが怖い、不安だと思っても、このときのことを思い出したいです。怖くても不安でも、それが悪い変化だとは限らないからです。ときには怖さや不安を無視して進んで行くことも必要なのかもしれません。
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