孤独だと使わないもの

生活

私は人付き合いをしない、外出をしない生活を送っており、コロナで余計にその傾向が強まりました。するといろいろなものが実は必要なかったことに気が付きました。

外出着

まず洋服です。出かけないので、自分が思った通りの服装をしていれば良くなり、私にとっては快適です。以前、大学時代の同級生と都内で集まるようなときには、私よりも夫の方が私の洋服の心配をしていました。必ず、集まりの前には服を買いに連れて行かれたものです。

しかし、そんなにして買ってもらった服は普段着るには、気恥ずかしかったりして無駄になることもありました。

今私は夏でも冬でも、デニムパンツにTシャツさえあれば事足りるため、とても気楽だし、好きな格好をしていられるので、満足しています。

化粧品と靴

化粧品も要りません。もともと化粧はしない方でしたが、さらにしなくなりました。5年以上前に買ったBBクリームをいまだに使っています。肌はかぶれませんから、最後まで使うと思います。外にあまり出ないので、今年は日焼け止めもほとんど使いませんでした。

靴も今履く一足があればそれで良いと思うようになり、手持ちの靴をドンドン履きつぶしています。家の周りでは、草むしりをすることが多いので、長靴を履いています。長靴は中に土が入ることもないし、ぬかるみも平気です。草むしりには最適だと思います。ボロボロになるまで靴を履きつぶすと、使い切ったという達成感があるし、下駄箱の中身がスッキリしているのは気持ちがよいです。

ハンドタオル

そして、私が使わなくなったのは、ハンドタオルです。子どもが小さな頃にはハンドタオルが必要不可欠でした。ハンカチよりも水気を吸うため、自分だけでなく子どもが手を洗ったときに拭いてあげられました。そしてバッグの中でジャマにならなかったので重宝しました。ハンドタオルには、とてもお世話になりました。

今では外出は買い物にでかけるくらいですから、そもそも出先でトイレに行くこともありません。バッグに入れておいても、使う機会がないのです。ハンドタオルは可愛いデザインのものが多く、いただく機会も多かったので、たくさん貯まっていますが、どれも新品同様のままです。

使い古しのハンドタオルはウエスとして使い切るようにしていましたが、新品同様のタオルはウエスとして使うのはもったいないように感じられます。服も靴も化粧品もドンドン使い切っているのに、ハンドタオルが入った引き出しは、数年前からそのままです。

これ以上、枚数を増やさないようにしたいものですが、今でも葬儀に参列すると、ハンドタオルが配られたりします。昔は台拭きとして使っても惜しくないデザインのものが多かったのですが、今はデザインや品質が良くなっていて、すぐに台拭きにするのは心が痛みます。

そのうち使い切れると思う

運が良ければ私もあと20~30年生きられるでしょう。その間に使い切れれば良いな、と思っていますが、もしそれができなかったら、と想像してみると、何だか楽しくなってきました。私の遺品を娘たちがしていると、何もかも少ない中でハンドタオルだけがたくさん出てくるわけです。

なんでハンドタオルばっかり、たくさんあるのかしら?お母さんにこんな趣味があったなんて、知らなかった。

おばさんになった娘たちがこんなことを考えるかもしれません。ハンドタオルがご愛嬌になるよう、せいぜい他のものは片付けて置くことにします。

結果・孤独も悪くない?

それにしても、人付き合いを考えないと、生活はわかりやすくなります。人前に出るんだから、身だしなみに気をつけなくては、などと考えることが減るので、たまに服や化粧品を買うときは、純粋に自分のためだと思えます。すると、支払いも納得してできるのです。

そう考えると、孤独な専業主婦も決して悪いことばかりではないと思うのですが、これは負け惜しみに聞こえるのでしょうか。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子育て終了主婦へ
にほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村

よろしくお願いします。

タイトルとURLをコピーしました