12月5日は夫の父の命日です。夫の父は交通事故が原因で亡くなりました。まだ39歳でした。昨年も夫の父の命日について記事を書きました。
命日の翌日に
昨年の命日の翌日、夫の弟が脳梗塞の発作で倒れ、長期入院を余儀なくされました。今考えると、あの頃の夫は大変だったと思います。
夫の弟は精神の病のために休職中、家に閉じこもりがちの生活が良くなかったのでしょう。糖尿病を発症、さらには脳梗塞になってしまいました。弟はその日、普段どおり洗濯をしていたところ、経験したことのない頭の痛みに襲われました。
私たちが病院に到着した時、すでに麻痺が出始めていたのか、弟はよく回らない舌で「あんな痛みは初めてだった」と語っていました。しかし、そんな状態でも弟は自分で救急車を呼んで、病院へ向かいました。
夫の弟と私は、あまり密なつながりはありませんでしたが、人の生きようという本能は強いものだと感じました。だから、それができずに亡くなってしまうというのは、本当に大変なことです。夫の弟が入院したことで、なぜか夫の父のことをとても考えさせられました。
夫と弟から父のことを考える
夫の父は交通事故でほとんど即死のような状態だったそうなので、死の間際になにかを考えたとは思えません。しかし、もし考えられとしたら、妻やまだ幼かった子どもたち(長男だった夫は9歳、次男は7歳、脳梗塞で倒れた弟は三男で5歳でした)のことを思い、とても無念だったのではないでしょうか。
残された夫の母と子どもたちも、その後順調な人生を歩んだとは言えませんでした。夫の母はその後、精神の病になりました。それは家族まで巻き込み、皆が大変な思いをしたようです。そして夫が20歳を迎えたときに亡くなります。
経済的にはそれほどの苦労はなかったようですが、周りの親がいないから、という目は夫たちには辛いものだったようです。
命日があるから気付いたこと
すでに夫たちは自分の父親や母親の亡くなった年を大幅に超えました。それはもしかすると、とても貴重なことなのかもしれません。特に弟はそのまま亡くなってもおかしくないような病にかかりながら、生き延び、大した後遺症もありませんでした。
これを貴重で素晴らしいことだと感じられるのは、命日があるからかもしれません。夫の父の命日が近づくにつれて、どうか今年は何事もなく終わりますように、と願っていましたが、本当に無事に命日は終わりました。
昨年の命日の翌日、救急隊員から電話をもらい、とても不安な気持ちで夫とともに電車に乗ったことがまるで嘘のように、今年は穏やかな日々が流れました。どうか、このまま今年が終わり、新しい年を迎えられると良いな、と思っています。