母のトイレトレーニング

家族

子育てで大変だったのがトイレトレーニングでした。いくら自分の子どもとはいえ、おもらしをされるのは後片付けが大変だし、抵抗がありました(おむつを変えるのに抵抗がないのはなぜでしょう?不思議なことです)。

1歳半でおむつが取れた私

長女のときはトレーニングがうまく進まなくて、気になったこともありました。今考えると、長女は2歳になるかならないかのときでしたから、まったく焦る必要ななかったのです。でも、私自身は1歳半で完全におむつから卒業したと母に聞かされていたので、長女も早く、と考えてしまいました。

しかし、母のトイレトレーニングは大変な方法でした。おもらしをするとお尻を思い切り叩くというもので、2~3日で叩かれるのが怖くて私はトイレに行くようになったそうです。母は子どものおむつを取るなんて簡単だよ、と大人になった私に笑顔で言いましたが、その後こう付け足しました。

実家の母
実家の母

この方法、孫にはやらないでね。だってかわいそうだもん。

我が子のトイレトレーニングは地道だった

もちろん私は母の方法は採用しませんでした。私は幼児期に多くの問題を抱えていたように思います。幼稚園や小学校という集団生活になじめず、嘔吐下痢症という普通ならそれほどひどくならない症状のせいで入院をしたこともありました。

それを母のせいだとは言いませんが、母のやり方が少しは関係しているのではないかと思ったのです。長女はトイレに抵抗感があったようで、トイレに促すと拒否されることが多かったです(もうトイレに行きたくて、足踏みをしていてもです)が、もらしたら掃除する、を繰り返しました。半年ほど過ぎて、私がトイレのことを忘れたときには、もう長女には何の問題もなくなっていました。

次女に至っては、こう言って聞かせるだけで、トイレに行けるようになりました。

ゆみこねこ
ゆみこねこ

(便器を指差して)この中に、オシッコして良いからね。お願いね。

やはり2歳位だった次女はおむつにオシッコしなくて良いんだ~(おむつにしなくてはいけない、と次女は思っていたようです)、と感心しながら用を足していました。

怒らないで済んだのは良かった

結局2人とも、2歳半までにはおおまかにはおむつが取れました。もちろん失敗することもありました。でも、子どもは具合が悪くなるとすぐに嘔吐したりして、汚すことはよくあります。たまのおもらしはそれと同じだと考えるようにしたら、それほど気にならなくなりました。

1歳半と2歳半、当時は大きな違いがあるような気がしました。でも、1年の差があっても、トイレトレーニングについては娘たちをそれほど怒らなくても済んだので、今になってみるととても良かったと思います。

今感じているのは寂しさ

私が母からトイレトレーニングについての話を聞いたときに感じたのは、寂しさでした。自分が母親になったときに、育児の大変さから母の苦労を思いやり、うまくいかないことはあったけど、私も大切に育ててもらったのだと考えました。それが母の話を聞いた途端に、思い切り否定されたような気がしました。

他にも掃除のときに私のことがジャマだから、柱に浴衣の帯で縛っておいたという話などもよく聞きました。当時は私も母と一緒に笑っていましたが、母が亡くなった今、思い出すと悲しくなります。その上、母に合わせて笑っていた自分に腹が立ちます。

昔の親は厳しかったとよく言われます。しかし私に母のやり方はまったく合っていなかったようです。それは私が今でも思い出して、クヨクヨしてしまうことからも明らかです。私に何のプラスにもなっていないし、今でも自分が大切に育てられたと実感できません(無事に成人しているのですから、ちゃんと育ててもらったのですが…)。

もし間違ったら、謝れば良い

これから暑い季節に向けて、トイレトレーニングを始める人もいるかもしれません。私は誰でもおもらしの後片付けをするのは大変だと思っています。度重なれば腹が立つこともあるし、嫌になってしまうのも当然の反応です。

しまった、やり過ぎたなと思うこともあるかもしれません。でも、それなら素直に子どもに謝れば良いと私は思います。母はきっと自分でもひどいことをしてしまったと後悔していたのだと思います。

素直に謝ることができずに、まるで冗談のように私に話して、自分でも本当にあれは冗談だったと思いたかったのでしょう。でも、私にはそれが受け止めきれずに、今でもしこりになって残ってしまっています。

冗談にしようとしても、私は受け止めきれませんでしたし、母の方も後ろめたさを感じたままだったようです。そんな何かが間に挟まったような(見えない壁ができたような、とも思えます)関係では、親子の間に距離ができてしまうのも、仕方がないでしょう。

母も寂しかったと思う

結果、それが母の最期のときを寂しいものにしてしまったような気がします。私は病気になった母にできる限りのことをしましたが、心の距離が広がってしまった人にいくら看病してもらっても、それは寂しいものだったと思います。

謝っても、子どもが許してくれないで諍いになることもあるかもしれません。でも、私はその方が表面だけの平和を保つよりも、心の距離は近くなるような気がします。

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