連日のウクライナ侵攻についての報道・複雑な思いになることにも意味があると感じている

テレビ 生活

連日ウクライナ侵攻の報道を見ていると、ロシアの攻撃が激化しているのがわかり、とても怖くなります。あんなことをやらせているロシアの指導者は正気だと思えません。建物が破壊され人々が傷つけられる映像をたくさん見ていると、ある考えがどうしても浮かんできます。

映像は流せるけど、助けられない

世界中に映像を流すことはできても、争いを止めることはできないし、誰も助けられないという考えです。東日本大震災のときもたくさんのむごい映像を見ていると、どうしてこの映像を流せるのに、この中の1人でも2人でも助けられないのかと思っていました。そう思っても、これを見ないのも悪いような、目をそらしてはいけないような気がして、我慢して映像を見続けていました。

まさかまたテレビを見ていて、同じような気持ちになるとは思いませんでした。私は報道がまったく意味を持たないとは思いません。むごい映像を見て、世界中の人たちが危機感を持ち、流れを変えてくれるかもしれません。ウクライナ侵攻についても、このような映像を見てロシアへの批判が高まり、軍事行動を止める方向に行くかもしれない、とは思います。

しかし、ロシアの攻撃激化のスピードに比べると、世界の流れの変わり方は多分とてもゆっくりです。流れが変わるのを待っていたら、ウクライナはどうなってしまうのでしょうか。

数々のむごい映像を流すことで、私たちは自分には何もできないという無力感を持ちます。日本にいて何ができるでしょうか。反戦デモに参加する、支援物資を送るくらいしかできることはないでしょう。そのどちらも、直接今苦しんでいる人を助けることにはならないのです。

これは急性の病気で今苦しんでいる人に、薬草を煎じて飲ませるようなものです。今助けないと死んでしまうかもしれない人に、これでも飲んでと気休めを言うようなことを果たしてやった方が良いのか、私にはちょっとわかりません。

罪悪感を持つことが必要?

そのうちに無力感は罪悪感に変わると私は思います。映像を見ることで、ウクライナ侵攻はまるで目の前で起こっているように感じられます。目の前に起こっていることなのに、手をこまねいてただ見ていることしかできないのでは、どんな人でも終いには罪悪感を持つようになるのではないでしょうか。

もしかすると映像をここまで流すことは、私たちに罪悪感を持たせることが目的なのかもしれません。ウクライナ侵攻は決して他人事ではないのだと、私たちに植え付けるために罪悪感が必要なのだとしたら、これはこれで意義のあることだと思います。

それにしてもウクライナ侵攻を終わりにするためには、一体どうしたら良いのでしょうか。ロシアの指導者を強制的に交代させることができれば、とも思いますが、それは方法が限られているように思います(誰かがプーチン政権に対してクーデターを起こすとか…)。ロシアの人たちはどう考えているのでしょう?私たちが見ているものとロシアの人たちが見ているものは違うのかもしれません。

この先、世界はどう変わっていくのでしょうか。そしてウクライナの次は日本ということにならないよう(北方領土のこともあるし)、一生懸命に祈ることにします。

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