マスクで顔がわからない

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今日の朝刊に、相貌失認についての投書が載っていました。投書をしたのは70代の女性で、長年人の顔が覚えられないばかりに、失礼も多かったと綴っていました。

この方は自分の夫や子どもの顔も中々覚えられなかったそうですから、大変な苦労をしてきたと思われます。きっと心細い思いもしたのではないでしょうか。

今、みんなの顔がマスクで隠れているから

今コロナ騒ぎのせいで皆がマスクを着けるようになりました。しかもそれがドンドン大きくなっているように思います。買い物に出かけてもすれ違う人の大半は顔の半分以上が隠れています。たまに、この人は知っている人かも知れないと思っても、断定する自信が出てきません。

スーパーの店員さんも皆マスクをしています。口元が隠れていると目の前の人が怒っているのか、笑っているのかを瞬時に判断できません。ちょっとしたことでも、キツく言われた、文句を言われたと感じることが増えました。私の精神が疲れているのか、妙にかんぐるようになってしまったのです。

人の顔が隠れて見えないということは、こんなに精神に影響するのかと自分でも驚きました。そして始めて顔がわからない人のことを考えました。私にとって相貌失認というのは、小説やドラマの中のことでした(ドラマ「相棒」や京極夏彦さんの小説に登場していました)。でも、今の私は遠く及ばないにしても、当事者である人の気持ちを思いやるようになりました。

マスクで新しい世界が見える

妊娠している女性の辛さを味わうために、胸とお腹に着ける重りや、白内障の世界を見るためのメガネなどがありますが、皆がマスクを着けることで相貌失認の人の世界が少しわかるのではないかと思います(実際に相貌失認の人は人の顔をどのように認識しているのかはわかりません)。

この先マスクを着けることが常識になると、人を見分けるのに顔だけに頼らなくなるかもしれません。声や体型、仕草などもその人によって違うし、そのうち私たちの感覚が進化してその人なりの臭いがわかるようになったり、雰囲気の違いを察知できるようになるかもしれません。人間の感覚が変わることで、相貌失認の人が少しでも生活しやすくなると良いと思っています。

いまだかつてない皆がマスクを着ける世界は、私たちに違う感覚をもたらし、違う世界を見せてくれそうです。

マスクを着ける世界は始まったばかり

先程の投書の女性は、自分が相貌失認であるとわかってからも、集まりが苦手でいつも会場の隅で小さくなっていました。最近は楽になりたくて、自分から顔が覚えられないことを告白したところ、年のせいだとあしらわれる年齢になっていた、と投書は結ばれていました。

自分の特性を嘆きながらも、軽いユーモアで投書を終わらせた女性に習って、私もマスクをしなければいけない世界を明るく乗り越えて行きたいです。ただ、これから暑い季節を迎えると、マスクは危険を伴いそうです。

私は先日の買い物でマスクを着けていたら、暑くてフラフラになってしまいました。季節を問わずにマスクを着けるというのは、誰にとっても初めての経験になるはずです。コロナは防いでも、違う病気になってしまうのでは困ります。マスクを着ける世界とはまだ折り合いがついたとは言えないようです。

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